
村山槐多、未公開作128点初公開 岡崎生まれの画家(中日新聞・2019/04/24)
🟢詩人画家、村山槐多

愛知県

こちらのコンテンツは【偉人録】郷土の偉人にて2019年5月1日に掲載された記事の引用です
村山槐多、未公開作128点初公開 岡崎生まれの画家(中日新聞・2019/04/24)
愛知県岡崎市生まれの詩人画家、村山槐多(かいた)(一八九六~一九一九年)の油彩画やパステル画などの未公開作品計百二十八点が京都府内の恩師や同級生宅などから新たに見つかった。
おかざき世界子ども美術博物館(岡崎市)で六月一日から開かれる槐多没後百年を記念する展覧会で初公開される。
槐多は日本美術院賞を受けるなど大正時代に活躍。
画家横山大観に実力を認められ、死後には詩人高村光太郎が「強くて悲しい火だるま槐多」と詩に残して哀悼した。
ただ槐多は二十二歳の若さで早世し、画家としての活動期間はわずか五年。このため作品は希少な上、これまでに約二百五十点しか確認されていなかった。
今回新たに見つかったのは、槐多が絵に取り組み始めた小中学生時代の初期作品をはじめ最盛期の二十代の作品で、風景画など油彩十点とパステルや水彩など百十八点。同館の学芸員村松和明(やすはる)さん(56)によると、初期作品はこれまでほとんど見つかっておらず、特に油彩作品は槐多が十八歳で上京した後の二十七点しか確認されていなかった。
油彩で注目されるのは、槐多がいとこの画家山本鼎(かなえ)(一八八二~一九四六年)から油彩道具一式をもらって絵を真剣に描き始めたとされる十四歳ごろの作品。連なる山々を濃い緑色で描き、湧き立つ白い雲がかぶさる様子を表現している。
代表作の水彩「カンナと少女」に登場する花のカンナを、単独で描いた油彩「カンナ」も見つかった。両作品とも同時期に描かれており、村松さんは「槐多が水彩から油彩に活動の中心を移していく転換点ではないか」と推測する。
パステルの全作品は上京前に描かれており、寺の山門やかやぶき屋根の家などの建造物、森や川などの自然を題材にした作品が多かった。
今回発見された晩年の油彩作品も、千葉県房総半島の大自然を繊細なタッチで表現していた。これらの作品は、代表作の油彩画「尿(いばり)する裸僧」のように荒々しい作風とは全く異なり「今回公表する絵を見比べれば、槐多へのイメージは一変する」と力を込める。
作品の多くは旧制京都府立第一中学校(現在の洛北高校)に通っていた槐多の同級生や先生らの家から見つかった。
村松さんは槐多研究を三十年以上続け、持ち主に作品公開の交渉を進めていた。今回は槐多の没後百年にちなんで特別に貸し出しを受けた。
<村山槐多(むらやま・かいた)>
4歳で京都府に移り住む。府立第一中学校に在学中、いとこの画家山本鼎に画才を見いだされた。卒業後、画家を目指して上京を決意。途中、長野県にある鼎の父親宅に2カ月間滞在し、田園風景を描く。上京後は感情を表に出す激しい筆致と色使いの作品を多く残した。小説や詩も書き続けながら、酒浸りの退廃的な生活を重ね、結核性肺炎で1919年に急逝した。翌年、詩集「槐多の歌へる」が刊行された。
(C)【歴史キング】×【偉人録】郷土の偉人】

単行本 – 2019/6/10

2019年6月1日よりおかざき世界子ども美術博物館にて開催の「没後100年 岡崎が生んだ天才 村山槐多展 伝説の火だるま槐多、驚きの新発見作品を一挙公開」展(サントミューゼ 上田市立美術館へ巡回 2019年7月27日(土)~9月1日(日))に合わせ刊行。
464頁となる本書は全体を5章で構成し、4章・232頁までに及ぶ作品紹介頁では、総402点の絵画作品をしっかり鑑賞できる大きさで掲載する。
また巻末には、槐多世界で絵画とともに重要な意味をもつ「詩、小説、短歌、書簡、日記」も全て掲載(生原稿があるものは画像も掲載)。
そして143点もの新発見作品を一挙掲載することで、わずか22歳で亡くなった夭折の画家の知られざる魅力の源泉と実像に迫る。
没後100年を経て、新たな発信を始める希代の天才・村山槐多の全てが一冊に。

もっと知りたい村山槐多 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
単行本 – 2019/6/8
村松和明 (著)

大正期の夭折の画家、村山槐多(1896~1919)。これまでの槐多像を覆す多数の新発見作品により見えてきた新たな全貌を、ひたむきな生き様とともに解き明かす。多くの人を魅了し続ける日記や詩文も随所に掲載。