
かつて日本海軍(と陸軍の間)で発生した『脚気問題』から考える、人間は“とてつもなく◯◯◯◯に弱い”

こちらのコラムは、2号が担当しました🙇♂️

戦国時代の覇者・織田信長の敦盛は有名である。「人間五十年・・・」で歌われているが、なぜ「五十年」なのか。2021年に漫才師の頂点を決める賞レース・M-1グランプリで、見事優勝を果たした芸人・錦鯉の長谷川雅紀さんは当時50歳での栄冠だった。他のスポーツよりも現役が長いことでも知られる競艇選手のレジェンドで、絶対王者と呼ばれる・松井繁さんは50歳を超えて、今も尚、最高峰レース・SGの常連だ。日本サッカー界のレジェンド・キングカズこと三浦知良さんは最前線での活躍は出来ていないものの、未だ現役のプロサッカー選手である。今の時代、50代は人生のエンディングではなく、まだまだ活躍できる年齢である。ではなぜ、信長の能は「人間五十年」だったのか。奇しくも織田信長は本能寺の変により、49歳で人生の幕を閉じた。これは家臣・明智光秀による謀反の暗殺であった為であるが、昔は単純に平均寿命が短かった。理由はいくつかある。出生して直ぐに亡くなってしまうことも多かったし、病気で命を落とすことも多かった。今ほど食べ物が豊かではなかった為、栄養失調なんてこともザラにあった。
それが今は「人生百年時代」とも言われる。この説に大きな影響を与えたであろう事項が「医学の進歩」と言える。古くは信長が生きた戦国時代にも「天然痘」が猛威をふるい、多くの人が命をおとした。その恐ろしさは感染者の約30%が罹患して亡くなったのだというのだから震え上がってしまう。原因はもちろん「ウイルス」になるのだが、その存在すら解明されていない時代では、疫病神がもたらす病だと信じられ、その治療法はお守りをつくったり、祭壇をつくったりと神頼みでもあった。江戸時代になって食事の改善によって病を克服しようとする動きも多くなったが、医学的根拠はなかった。
この医学の世界に革新をもたらしたのは、19世紀後半だという説が強い。人々を大きく苦しめていた結核やコレラ、ペストといった恐ろしい病気の原因が解明されたのだ。つまり「ウイルス」という存在が発見され、「ワクチン」という医療手段が確立した。実はワクチンというのは日本でも江戸時代の終わり頃には海外から伝わっていた。しかし、ワクチンの精度・品質という問題もあったかと思うが、副反応の疑いや、医療効果への半信半疑の眼差しから、庶民に浸透するには時間がかかった。それどころか当時は医師にも否定的な意見が多かったらしい。気持ちはわからなくもない。いや、言い換えよう。気持ちはすごくわかる。直近まで世界中を混乱に陥れた新型コロナウイルスは怖かった。医学が進歩した現代であっても、全容を解明するには時間がかかり、パンデミック状態で世界が怯えてしまった。とある専門家はAと言っても、またある専門家はBという。終いにはCも、Dの可能性もあるといった具合だ。今では医学も科学もめまぐるしい進歩があり、様々なことが解明されている。この現代でもこのようなケースが発生するのだから、昔はもっとそうだったのだろう。ましてや得体のしれない、不確実なものを前にした時、社会生活における人間というのは、メディアや権力者の意見に流されやすいという背景があるのだ。
天才・森鴎外の失敗
明治・大正期の小説家で「舞姫」や「澁江抽斎」などで知られるのが、ご存知「森鴎外」である。教科書に登場する偉人であり、東京大学医学部を卒業している。さらに驚くべきなのは9歳の頃には既に15歳相当の学力を持ち合わせており、舞姫の「石炭をばはや積み果てつ」の如く、12歳の時に年齢を2歳多く偽って、東京大学医学部に入学しているのだ。言わば、超エリートの森鴎外であるが、大学卒業後に陸軍軍医となり、軍医として最高職である陸軍軍医総監・陸軍医務局長にも就いている。年齢を偽って東大に入学、異彩を放つ小説執筆の数々、そして陸軍の最高軍医になっているのだから、ピッチャーでもバッターでも、メジャーリーグを席巻するユニコーン・大谷翔平選手もびっくりするような才能である。そんな天才・森鴎外であるが、唯一の汚点とも言うべき経歴が存在していると私は考えている。それがかの有名な「脚気問題」である。
陸軍が嘱望する若き軍医・森林太郎(森鴎外の本名)は、当時の健康問題として大きな課題である「脚気」に対峙し、兵士たちの健康維持のために尽力し、奮闘した。「脚気」とはビタミンB1が欠乏して起きる病気のことであり、末梢神経や中枢神経が冒され、足元がおぼつかなくなり、ひどくなると心不全などを起こし、死に至ることもある。そして時を同じくして、この脚気問題に向き合った軍医がもう1人いた。海軍・軍医の高木兼寛(たかぎかねひろ)その人である。最終的には海軍軍医総監にまで上り詰めた人物であり、彼もまた“優秀”な人物と言える。
森が結びつけた結論はこうだった。「脚気菌」という根本的な原因があるのだと。東京大学を卒業した森はドイツに留学し、当時の最先端とされる医学を学んだ。長い歴史の中で不明であったことが医学によって明らかにされ、多くの人命を救い、新しい医学のために突き進んでいる細菌学は、天才・森の目を少しだけ曇らせたのかもしれない。一方、高木が導き出した結論は、ごくごく在り来りとも言えるものだった。一言でいうと「栄養不足」なのだと。今であれば脚気がビタミン不足が原因というのは常識レベルの知識となっている。しかし、この時はまだ「ビタミン」という存在すら発見されておらず、日本のみならず、世界の医学界においても未解決の問題であったのだ。高木はいち早く栄養不足が原因だと気づくと、海軍の食事改革を進めた。その結果、海軍における脚気の新患者数や発生率は激減したと言われている。一方の森は判断を見誤ってしまった。もちろん森一人の責任ではないという声もある。しかし、陸軍で圧倒的な権威を持つ森の考えは、事実上、大きすぎる影響を及ぼした。麦飯が脚気対策に有効なる説が広がっても、森は自身の考えを曲げず、むしろ固執したと言える。結果として、脚気に対する適切な対応を行うことができず、多くの兵士たちが死亡したとされる。その数は、日清戦争では4000人以上、日露戦争では2万7000人以上にものぼる。
正しいことが正しく評価され、正しく行われるということは、小学生が聞いても当たり前に思うだろう。しかし現実はそうではない。戦争によって勝利国となった国は、今でも目に見えにくい大きな力を誇示しているし、世論や権力の方に大衆がなびきやすいのは世の常である。国民的大人気マンガであるワンピースで、それぞれの正義を主張する権力者たちが一同に集った戦いがある。ファンの間では知らない人はいない頂上戦争だ。その中で、ドンキホーテ・ドフラミンゴの発した言葉が耳に残っている。
「海賊が悪!?海軍が正義!?そんなものはいくらでも塗り替えられてきた!平和を知らねぇガキ共と戦争を知らねぇガキ共の価値観は違う!頂点に立つ者が善悪を塗り替える!今この場所こそ中立だ!正義は勝つって?そりゃそうだろ。勝者だけが正義だ!!」
つまり、正義というのは価値観によって変わるものであり、ちょっとした立場の違いで善悪の境界線は曖昧であると感じる台詞だ。これはマンガの話であるが、史実でも古今東西、このような思想は存在する。言うなれば「勝てば官軍、負ければ賊軍」といった感じだ。
話を脚気問題に戻すが、決して森が悪、高木が正義だと言いたいわけではない。例えば高木は都市衛生において「貧民散布論」を唱えている。これはどういうことかと言うと、都市(東京)から貧民を追放した方が衛生が保たれるというものであった。これに森は真っ向から対抗している。この言葉だけ見ると、人道的な扱いをしている人間らしい選択が森であり、非人道的な考えをしているのが高木であると私は思う。
時は流れ、後にポーランドの科学者であるフンクが栄養成分ビタミンを発見するのだが、実はその1年前に日本人である鈴木梅太郎が世界で最初にビタミンを発見し、発表している。当時の日本医学界から拒絶されてしまったという事情もあるらしいが、国際学会へのアピールが遅れてしまった鈴木のオリザニン(ビタミンのこと)は埋もれてしまうこととなった。つまりこれはタイミングの問題や、アピールの仕方が弱かったと見ることもできるが、北里柴三郎さんしかり、山極勝三郎さんしかり、秦佐八郎さんしかり、時の世界医学界をリード(支配というニュアンス)していた欧州にその偉業をかっさらわれている。もちろん諸説あり、穿った見方があるかもしれないとは断っておく。聴衆側の見識が浅いということが言えるかもしれない。しかし、それぞれの価値観や、立場というものがあり、言葉だけでそれを全てと捉えるのはやはり時期尚早なのではないか。
人間は“とてつもなく既得権益に弱い”
長々と話してきたが、ここで私が思うのは、正しいと思えることであっても、それが既得権益や、大衆が作り上げてしまったイメージにより、その判断が曇らされてしまうケースが有り得るのではないかということである。医学が進み、世界中に優秀なお医者さんや研究者がいる現在であっても、新型コロナウイルスの適切な対応策に時間がかかった。たとえ適切で、客観的事実からして有効な治療法があったとしても、見えないブレーキがかかったり、否定されてしまうというのは今の今でも数多く存在するということだ。もちろん、全ての問題・課題を、全部同じ土俵にあげてしまおうと言うものではない。世の中には数え切れない程の誤りや失敗がある。その中で脚気問題における森と高木は、それぞれの知識・価値観・正義で自身の使命を全うしたのだ。おそらく今後も人間は過ちや間違った選択をするだろう。しかし個人の大きな集まりが国であるのだから、何もせずに傍観するのではなく、正しいことは正しいと思える、自分が信じる価値観・正義を養いたい。規則正しい生活をおくる。多種多様の文学にふれる。世界の歴史に触れ、古くから新しきを学ぶ。そんな当たり前のことで、自身の感性は磨かれ、自身の信じる真実が見えてくるのだと私は思う。そして本質や本物を感じられる感性が磨かれた時、このコラムは駄作であると見抜かれてしまうのだろう。残念だが、本望である。