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4.渋沢栄一、大原孫三郎、武藤山治│父と呼ばれた日本人

🔵「社会の公器」としての企業の存在意義と経営の模範を示した「近代日本資本主義の父」「近代経営の父」

はじめに――なぜ、「父」と称えられるのか

幕末から明治、大正、昭和にかけての激動の時代に、日本は欧米列強を手本として近代国家形成にまい進し、政治、経済、科学技術、司法、文化とあらゆる分野において先駆的役割を果たした偉人たちを多く輩出しました。「近代日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一、「台湾近代化の父」「満州開発の父」「国際開発学の父」「都市計画の父」など7つの称号を持つ後藤新平、「日本病理学の父」山極勝三郎……彼らはなぜ、「父」と呼ばれるようになったのでしょう。

たとえば、渋沢栄一は、91年の生涯に、実業分野500以上、社会公共事業600以上の事業に携わったといわれます。主なものだけでも、日本興業銀行、東京海上火災保険、東京瓦斯、王子製紙、新日本製鐵、麒麟麦酒(きりんビール)、アサヒビール、帝国ホテル、東京商工会議所、東京証券取引所の設立など、日本近代産業のあらゆる分野に及びます。

後藤新平は、台湾総督府民政長官、南満州鉄道初代総裁、東京市第7代市長などを歴任し、短い在任期間でことごとく成果をあげていますし、山極勝三郎はその業績が「幻のノーベル賞」と称えられた日本医学界の大恩人です。

彼らが「父」と呼ばれる最大の理由は、もちろん各々が活躍した分野で抜群の功績を挙げたことですが、理由はそれだけではありません。

大きな志、日本人としての気概、困難なことに立ち向かう冒険心、後世の人々に伝えるべき理想の追求、そして彼らの出生地や出身学校、生活基盤を置いた地域、あるいは彼らが教鞭を執ったり研究を行ったりした機関などで関わった人々が、その「偉業と志を後世の人々に語り継がなければならない」という強烈な思いをもって功績を称えてきたことが大きいのです。

本記事では、こうした「父」と呼ばれた偉人1000人超のリストから、特に近代日本の産業界に大きな貢献をした「父」の功績をたどりつつ、「父」なる称号の持つ意味について考えたいと思います。

「経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物の中で、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。彼は世界のだれよりも早く、経営の本質は『責任』にほかならないということを見抜いていた」

ピーター・F・ドラッカーは名著『マネジメント』(ダイヤモンド社)で、渋沢栄一をこのように称賛しています。「現代経営学の父」をして、いち早く経営の本質を見抜いていたと言わしめた渋沢は、明治期の日本産業界のあらゆる領域で企業を興した大事業家です。

渋沢は91年の生涯で携わった実業と社会公共事業において、終始一貫して独立自尊と公の精神から生み出された「公益」を追求しました。

渋沢の没後、子息の秀雄は短歌誌『アララギ』に「資本主義を罪悪視する我なれど 君が一代は尊くおもほゆ」という渋沢の一首を発見し、「人生観・社会観・国家観のちがう若い人にも、この歌のような例外的な共感をよびおこしたのであろう」と語っています。ここに、財界人という枠を超えて、渋沢が「近代日本資本主義の父」として称えられる理由があるのでしょう。

公益の追求ではもう一人、日本の資本主義史上、数少ない立派な実業家と評される経営者がいます。倉敷紡績(クラボウ)の礎を築いた大原孫三郎です。

若いころ、放蕩三昧だった大原を変えたのは、「児童福祉の父」「孤児の父」といわれた石井十次との出会いです。石井の活動に感銘を受けた大原は、実業と社会公共事業で地域貢献に努め、大原美術館や病院、社会福祉施設などを現代に残しました。大原が「企業文化の父」「企業メセナの父」と呼ばれるゆえんです。

実業においては、従業員の教育や労働環境の向上を推進し、「社会の公器」としての企業のあるべき姿を示しました。近代経済学者の福田徳三も、マルクス経済学者の大内兵衛も、当時の経営者の姿勢を痛烈に批判しましたが、大原だけは高く評価しています。「近代経営の父」という大原に対する称号は、弱い立場の労働者と、権力の番人という両面からの賛辞でもあるのです。

明治期に従業員の幸福を追求した経営者としては、「紡績王」といわれた武藤山治も有名です。

経営が悪化していた鐘淵紡績(現・クラシエ)の再建に乗り出した武藤は、「職工優遇こそ最善の投資なり」をモットーに、家族主義、温情主義に基づく労働環境の改善に尽くし、「職工の父」と称されました。

武藤は、工場の近代化、投書箱の設置、コミュニケーションの改善を進め、また寮や女学校、日本初の共済組合を完備するなど、福利厚生の向上を図りました。鐘紡は模範工場として「女工の天国」と評され、『女工哀史*』には、鐘紡に対する称嘆が随所に見られます。

人道的な労務管理を実現した武藤は、従業員から絶大な信頼を得て、「日本の労務管理の父」とも呼ばれています。模範的経営者との呼び声が高かった武藤は、日本の資本家代表に推薦されて、1919(大正8)年、ワシントンで開催された第1回国際労働会議に出席しました。

(C)【歴史キング】

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本記事では、こうした「父」と呼ばれた偉人1000人超のリストから、特に近代日本の産業界に大きな貢献をした「父」の功績をたどりつつ、「父」なる称号の持つ意味について考えたいと思います。

歴史キング

目次

1.後藤新平

「台湾近代化の父」「都市計画の父」など │7つの称号を冠された医師、政治家としての信条

2.長州五傑

「工学の父」「造幣の父」「鉄道の父」など│ 殖産興業策を主導した「長州五傑」

3.薩摩藩英国留学生

「維新の父」の遺志を継いで近代化を実現した│「大阪財界の父」「電気通信の父」「ビールの父」

「社会の公器」としての企業の存在意義と経営の模範を示した│「近代日本資本主義の父」「近代経営の父」

5.小栗忠順

海軍と殖産興業の土台を築いた│明治国家誕生の「ファーザーズ」「日本近代化の父」

6.前田正名

日本全国を練り歩き在来産業の振興に人生を捧げた「殖産興業の父」「明治産業の父」

7.江藤新平、山田顕義、児島惟謙

民生の安定と人権確立に尽くした│「近代日本司法制度の父」「日本近代法の父」「司法権独立の父」

8.初代 田中久重、藤岡市助、二代 島津源蔵

近代重工業、電気、蓄電池……│技術立国日本の礎を築いた3人の「日本のエジソン」

9.豊田佐吉、豊田喜一郎

「発明の父」「大衆車の父」機械産業と自動車産業における偉大な父子

10.赤松則良、上田寅吉、渡辺蒿蔵

日本初の洋式軍艦と東洋一のドックを建造した3人の「日本造船の父」

11.片寄平蔵、屋井先蔵

産業の近代化から重工業化へのエネルギー基盤を築いた「石炭の父」と世界初の発明を成した「乾電池の父」

12.今泉嘉一郎、渡辺三郎、石原米太郎

「鉄は国家なり」を導いた群馬県出身の3人の鉄鋼の父

13.志田林三郎、小花冬吉、辰野金吾

電気工学、鉱業、近代建築の各分野で「父」と称される工部大学校第1回卒業生

14.山田脩、高橋長十郎、山辺丈夫

製造立国の先駆けとして世界市場を席巻した「日本近代紡績業の父」

15.本木昌造、ジョセフ・ヒコ、岩谷松平

新しい産業を生み出した「近代活版印刷の父」「新聞の父」「近代日本のPRの父」

16.上野彦馬、下岡蓮杖、田本研造

内戦から文明開化に至る激動の時代を記録した日本写真界の三大先駆者

17.柳沢謙、熊谷岱蔵、山極勝三郎

幻のノーベル賞といわれた日本医学界大恩人の偉業│「日本病理学の父」「結核撲滅の父」

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