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5.小栗忠順│父と呼ばれた日本人

🔵海軍と殖産興業の土台を築いた明治国家誕生の「ファーザーズ」「日本近代化の父」

はじめに――なぜ、「父」と称えられるのか

幕末から明治、大正、昭和にかけての激動の時代に、日本は欧米列強を手本として近代国家形成にまい進し、政治、経済、科学技術、司法、文化とあらゆる分野において先駆的役割を果たした偉人たちを多く輩出しました。「近代日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一、「台湾近代化の父」「満州開発の父」「国際開発学の父」「都市計画の父」など7つの称号を持つ後藤新平、「日本病理学の父」山極勝三郎……彼らはなぜ、「父」と呼ばれるようになったのでしょう。

たとえば、渋沢栄一は、91年の生涯に、実業分野500以上、社会公共事業600以上の事業に携わったといわれます。主なものだけでも、日本興業銀行、東京海上火災保険、東京瓦斯、王子製紙、新日本製鐵、麒麟麦酒(きりんビール)、アサヒビール、帝国ホテル、東京商工会議所、東京証券取引所の設立など、日本近代産業のあらゆる分野に及びます。

後藤新平は、台湾総督府民政長官、南満州鉄道初代総裁、東京市第7代市長などを歴任し、短い在任期間でことごとく成果をあげていますし、山極勝三郎はその業績が「幻のノーベル賞」と称えられた日本医学界の大恩人です。

彼らが「父」と呼ばれる最大の理由は、もちろん各々が活躍した分野で抜群の功績を挙げたことですが、理由はそれだけではありません。

大きな志、日本人としての気概、困難なことに立ち向かう冒険心、後世の人々に伝えるべき理想の追求、そして彼らの出生地や出身学校、生活基盤を置いた地域、あるいは彼らが教鞭を執ったり研究を行ったりした機関などで関わった人々が、その「偉業と志を後世の人々に語り継がなければならない」という強烈な思いをもって功績を称えてきたことが大きいのです。

本記事では、こうした「父」と呼ばれた偉人1000人超のリストから、特に近代日本の産業界に大きな貢献をした「父」の功績をたどりつつ、「父」なる称号の持つ意味について考えたいと思います。

幕末の動乱期、「父」と呼ばれた人々は各分野で信じる道を突き進み、明治国家の建設に貢献しました。数百人にのぼる彼らのなかから坂本龍馬、勝海舟、福沢諭吉、西郷隆盛、小栗忠順の5人を「ファーザーズ(明治の父たち)」と名づけた小説家の司馬遼太郎は、「薩長は、かれらファーザーズの基礎工事の上に乗っかっただけともいえる」と述べています。

なかでも「明治国家というものは、江戸270年の無形の精神遺産の上に成立し、財産上の遺産といえば、大貧乏と借金と、それに横須賀ドックだった」と評価したのが、近代国家の必須条件である海軍の土台となる洋式造船所(横須賀ドック)の建設に尽力した小栗忠順です。

小栗は大鳥圭介、榎本武揚とともに「幕末三傑」といわれる幕臣ですが、若いころから開国思想の持ち主でした。ペリー来航後は、「海外に出て通商貿易をするために木造船を建造して中国に進出する」と公言していたと伝えられます。

財政に長けた小栗は、大老・井伊直弼から外国掛に抜擢され、1860(安政7)年、日米修好通商条約批准書を取り交わすため渡米します*。通貨の交換比率を見直す交渉では、現地の新聞が「あきれるほどの忍耐心」と報道する粘り強さで、日本側の不利益をアメリカ側に認めさせたことは、驚愕に値します。

当時の国内は攘夷一辺倒でしたが、小栗はアメリカの製鉄技術に彼我の差を痛感し、強硬に開国を主張します。のちにジャーナリストとして活躍する幕臣の福地源一郎は、小栗がアメリカの文物の優れた点を説明し、政治、軍事、経済などの面で欧米を模範として日本を改革しなければならないと論じて幕閣を驚かせたと述べ、小栗の信念と勇気を称賛しています。

勘定奉行となった小栗は、1865(慶応元)年、横須賀製鉄所の建設に着手します。総工費240万ドルの製鉄・造船・兵器廠を備えた東洋一の大工場に加え、横浜には中規模工場を建設する大事業計画でした。反対の声に対し、小栗は「幕府の運命が尽きたとしても、日本の運命には限りがない」と答えたといわれます。その言葉どおり、造船所が完成したとき、すでに幕府も小栗もこの世に存在していませんでした。

横須賀製鉄所は明治政府が引き継ぎ、海軍工廠として造船技術を生み出す唯一の母胎になります。日本海海戦でロシア艦隊を撃滅した東郷平八郎は、小栗の遺族に、「日本海海戦の完全勝利は、小栗さんが横須賀製鉄所(造船所)を造ってくれたおかげです」と礼を述べたそうです。このエピソードからも、司馬が小栗を「ファーザーズ」と称した動機がうかがえます。

横須賀製鉄所は、殖産興業の土台にもなりました。明治政界の実力者・大隈重信は小栗の偉業を取り上げ、「小栗上野介は、謀殺される運命にあった。明治政府の近代化政策は、小栗が行おうとしていたことをそっくり模倣したことだから」と語ったそうです。

大隈、東郷ら慧眼の士が、明治国家の大恩人として敬った小栗は、「日本近代化の父」「明治の父」と称されています。

(C)【歴史キング】

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本記事では、こうした「父」と呼ばれた偉人1000人超のリストから、特に近代日本の産業界に大きな貢献をした「父」の功績をたどりつつ、「父」なる称号の持つ意味について考えたいと思います。

歴史キング

目次

1.後藤新平

「台湾近代化の父」「都市計画の父」など │7つの称号を冠された医師、政治家としての信条

2.長州五傑

「工学の父」「造幣の父」「鉄道の父」など│ 殖産興業策を主導した「長州五傑」

3.薩摩藩英国留学生

「維新の父」の遺志を継いで近代化を実現した│「大阪財界の父」「電気通信の父」「ビールの父」

4.渋沢栄一、大原孫三郎、武藤山治

「社会の公器」としての企業の存在意義と経営の模範を示した│「近代日本資本主義の父」「近代経営の父」

海軍と殖産興業の土台を築いた│明治国家誕生の「ファーザーズ」「日本近代化の父」

6.前田正名

日本全国を練り歩き在来産業の振興に人生を捧げた「殖産興業の父」「明治産業の父」

7.江藤新平、山田顕義、児島惟謙

民生の安定と人権確立に尽くした│「近代日本司法制度の父」「日本近代法の父」「司法権独立の父」

8.初代 田中久重、藤岡市助、二代 島津源蔵

近代重工業、電気、蓄電池……│技術立国日本の礎を築いた3人の「日本のエジソン」

9.豊田佐吉、豊田喜一郎

「発明の父」「大衆車の父」機械産業と自動車産業における偉大な父子

10.赤松則良、上田寅吉、渡辺蒿蔵

日本初の洋式軍艦と東洋一のドックを建造した3人の「日本造船の父」

11.片寄平蔵、屋井先蔵

産業の近代化から重工業化へのエネルギー基盤を築いた「石炭の父」と世界初の発明を成した「乾電池の父」

12.今泉嘉一郎、渡辺三郎、石原米太郎

「鉄は国家なり」を導いた群馬県出身の3人の鉄鋼の父

13.志田林三郎、小花冬吉、辰野金吾

電気工学、鉱業、近代建築の各分野で「父」と称される工部大学校第1回卒業生

14.山田脩、高橋長十郎、山辺丈夫

製造立国の先駆けとして世界市場を席巻した「日本近代紡績業の父」

15.本木昌造、ジョセフ・ヒコ、岩谷松平

新しい産業を生み出した「近代活版印刷の父」「新聞の父」「近代日本のPRの父」

16.上野彦馬、下岡蓮杖、田本研造

内戦から文明開化に至る激動の時代を記録した日本写真界の三大先駆者

17.柳沢謙、熊谷岱蔵、山極勝三郎

幻のノーベル賞といわれた日本医学界大恩人の偉業│「日本病理学の父」「結核撲滅の父」

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