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第12回 アメリカの暗号解読――すべては読まれていた?

12-1. マジック解読の技術と体制

外交の舞台裏に潜む「見えない目」

太平洋戦争開戦の経緯を語る上で、日本の外交的失敗や軍部の暴走がしばしば指摘されます。しかし、その背後には、日本側が全く知らなかった、あるいは軽視していた極めて重大な事実が横たわっていました。それは、アメリカが日本の外交暗号をほぼ完璧に解読していたという現実です。この暗号解読作戦は、アメリカにとって「マジック(Magic)」というコードネームで呼ばれ、開戦前夜の外交交渉から真珠湾攻撃に至るまで、日本の手の内を筒抜けにしていたのです。

「パープル」システムの驚異的解読能力

アメリカが解読していたのは、日本の外務省が使用していた「九七式欧文印字機」による暗号通信でした。この暗号機は、日本側では「パープル(Purple)」というコードネームで呼ばれていました。アメリカは、日本の暗号技術者をスパイとして潜入させるなどの情報収集活動に加え、卓越した技術力と地道な努力によって、この複雑な暗号システムの解読に成功しました。

具体的には、1940年(昭和15年)10月頃には、アメリカはパープル暗号を解読するための機械「パープル暗号解読機」を完成させ、8台も製造していました。この解読機は、日本の暗号変換機とそっくり同じ機能を持ち、ワシントンにある日本大使館が東京と交わしていた秘密電報を、ほぼリアルタイムで読み取ることが可能だったのです。

日本の外務省は、自国の暗号がこれほどまでに脆弱であることに全く気づいていませんでした。松岡洋右外相がドイツやソ連と交わした秘密電報、そしてワシントンで野村吉三郎大使が日本政府へ送った外交交渉の進捗に関する報告など、日本の外交の機密情報がすべてアメリカの手に渡っていたのです。

解読された「最後通牒」と日本の“無邪気さ”

マジックによって解読された情報の中でも、特に日本の運命を決定づけたのが、1941年11月に日本から野村大使に送られた「ハル・ノート受諾の期限」に関する電報でした。この電報には、日米交渉の最終期限が明確に記されており、その日までに交渉が成立しなければ、日本は武力を行使する決意であるということが示唆されていました。

アメリカのルーズベルト大統領は、この電報の内容を読んだ際、「This means war(これは戦争を意味するね)」と側近に語ったとされています。つまり、アメリカは日本からの正式な「宣戦布告」や「最後通牒」が届くよりも早く、日本の開戦の決意を把握していたのです。

にもかかわらず、日本は、真珠湾攻撃の開始時刻(ハワイ時間午前8時)のわずか30分前という、極めて遅いタイミングでハル・ノートに対する回答をワシントンに手交しようとしました。この通告の遅れは、戦後、「だまし討ち」という日本の不名誉なレッテルに繋がることになりますが、実際にはアメリカは既に日本の意図を完全に読んでいました。日本の外交官の「怠慢」や「無神経」が指摘されることもありますが、それ以前に、日本が「自国の情報が漏れている」という現実を全く認識していなかったことが、この悲劇的な結果を招いた最大の要因と言えるでしょう。

情報戦の軽視が招いた外交の失敗

当時の日本は、軍事力や経済力の増強には力を入れていましたが、情報戦、特に暗号解読や諜報活動といった分野では、アメリカに比べて著しく後れを取っていました。日本の指導者層には、「情報はあくまで補助的なもの」という認識があったのかもしれません。しかし、国際政治においては、情報こそが戦略の生命線であり、相手の手の内を知ることが、自国の有利な交渉に不可欠です。

松岡洋右外相が、日ソ中立条約締結の際にスターリンから「これで日本は安心して南進できますなあ」と声をかけられ、これを真に受けて有頂天になったというエピソードは、日本の情報分析の甘さを象徴しています。スターリンは、日本の南進政策と対米開戦への意図を正確に読み取り、ソ連にとって都合の良いタイミングで日本との関係を安定させ、ヨーロッパ戦線に集中する戦略を立てていたのです。

「空気」に流される情報認識

日本の情報軽視の背景には、国内の「空気」に流されやすい国民性も関係していたかもしれません。当時の日本社会では、「国難に際しては一致団結すべき」という同調圧力が強く、都合の悪い情報は排除され、都合の良い情報だけが強調される傾向がありました。これにより、客観的な情報分析や冷静な判断が阻害され、「勝てるはずだ」「外交で何とかなるだろう」といった希望的観測が蔓延しやすかったのです。

アメリカの対日政策は、日本の国力を「戦わずして消耗させる」という明確な意図を持っていました。しかし、日本はこの意図を正確に把握できず、石油禁輸といった経済制裁を「追い詰められた結果の行動」として受け止める一方で、その背後にあるアメリカの緻密な情報戦略を見抜くことができませんでした。

歴史が示す「情報」の重み

マジック解読の事実は、太平洋戦争の開戦経緯を語る上で、極めて重要な視点を提供してくれます。それは、日本が単に「暴走した」わけではなく、外交交渉の裏側で自らの情報が筒抜けになり、相手の戦略に嵌め込まれていったという悲劇的な側面があったということです。

この歴史の教訓は、現代にも通じるものです。情報が氾濫する現代社会において、何が真実であり、何が相手の意図なのかを見抜く力は、国家にとっても個人にとっても極めて重要です。過去の過ちから学び、情報戦における「目」と「耳」を養うことこそが、未来を守るための第一歩となるのではないでしょうか。

12-2. 対日戦略の鍵を握った情報戦

開戦前夜の「透明な日本の手」

太平洋戦争開戦の背景には、アメリカの巧妙な対日戦略がありました。その鍵を握っていたのが、日本の外交暗号の解読、すなわち「マジック(Magic)」と呼ばれる情報収集活動です。日本は自らの意図や交渉戦略がアメリカに筒抜けになっていることに気づかないまま、開戦へと向かっていきました。この「見えない情報戦」における日本の完敗が、その後の運命を決定づけたとも言えるでしょう。

外交交渉の「裏側」を読み解くアメリカ

アメリカは、日本の外務省が使用していた「九七式欧文印字機」による暗号通信を解読する技術を確立していました 。この「パープル(Purple)」と呼ばれる暗号システムを解読することで、アメリカは日本の外交方針、軍事行動の意図、さらには指導者層の考え方まで、詳細に把握することが可能になっていたのです。

たとえば、1941年(昭和16年)11月、日本から野村吉三郎駐米大使に送られた「ハル・ノート受諾の期限」に関する電報は、アメリカによって即座に解読されました。この電報には、日米交渉の最終期限が明記されており、その期限までに交渉が成立しなければ、日本が武力を行使する決意であることが示唆されていました。ルーズベルト大統領がこの電報を読んだ際、「これは戦争を意味するね」と語ったとされるのは、まさにアメリカが日本の外交戦略の核心を掴んでいた証拠です 。

日本の外交官や軍人は、自分たちが秘密裏に行っている交渉や計画が、実は相手に筒抜けになっているとは夢にも思っていませんでした。この情報格差が、日米間の交渉を一方的なものにし、日本を「追い詰められた選択」へと誘導する上で決定的な役割を果たしたのです。

対日経済制裁と情報戦の連動

アメリカの対日経済制裁は、単なる経済的圧力に留まらず、情報戦と密接に連動していました。アメリカは、日本の石油備蓄がどれくらいで尽きるか、どの資源に依存しているかといった情報を正確に把握しており、それに基づいて効果的な禁輸措置を講じていました。

1941年7月の南部仏印進駐をきっかけとしたアメリカの在米日本資産凍結、そして8月1日の石油全面禁輸は、日本に壊滅的な打撃を与えましたが、アメリカ側は日本の反応を事前に予測し、それに対する対策を講じていた可能性があります。情報が先回りして日本の手の内を明かしていたため、アメリカは常に主導権を握り、日本を「戦うか、滅びるか」という二者択一の状況へと追い詰めることができたのです。

スターリンとチャーチルが見抜いた日本の「思惑」

日ソ中立条約の締結も、情報戦の視点から見ると、日本の誤算が浮き彫りになります。松岡洋右外相は、スターリンが自ら駅に見送りに来るほどの友好関係を築いたと喜びましたが、スターリンは既にドイツとの戦争を予期しており、極東の安全を確保した上でヨーロッパ戦線に集中するという冷徹な戦略を持っていました。スターリンが日本大使館付の海軍武官に「これで日本は安心して南進できますなあ」と語った言葉は、日本の南進への思惑を正確に読み取っていた証拠であり、その言葉が日本を南進へと誘導する役割を果たしたという皮肉な現実がありました。

また、イギリスのチャーチル首相も、日本の動きを注意深く観察しており、松岡洋右に対して日本の対米英強硬路線の危険性を具体的に忠告しています。チャーチルは、アメリカの工業生産力や資源量を具体的な数字で示し、日本がドイツと同盟を組んでも、英米には対抗できないことを明確に指摘しました。しかし、松岡はこうした忠告を「侮辱」と受け止め、自らの「八紘一宇」という理想に固執し、耳を傾けませんでした。

情報軽視が招いた「だまし討ち」の汚名

真珠湾攻撃の直前、日本はワシントンで最終通牒を手交しようとしましたが、通信の不手際や大使館側の怠慢により、攻撃開始後に通告が届くという事態が発生しました。これにより、日本は「だまし討ち」という永遠の汚名を着せられることになりますが、アメリカ側は既に日本の攻撃を予期しており、ルーズベルト大統領も事前に「これは戦争だ」と認識していました。この事実は、日本の情報戦における完全な敗北を示唆しています。

日本の指導者層が、自らの情報が敵国に筒抜けになっていることに気づかなかった「驕慢な無知」 、そして情報分析の甘さ が、開戦における日本の立場を著しく不利なものにしました。この「情報戦の敗北」は、単なる軍事技術の問題に留まらず、当時の日本社会全体に蔓延していた「空気」や「独善的な思い込み」  が生んだ悲劇でもありました。

歴史の教訓:情報と客観性の重要性

アメリカの暗号解読作戦「マジック」が示したのは、国際政治における情報戦の重要性です。国家の命運を左右する局面において、正確な情報収集と分析能力は、軍事力や経済力と同等、あるいはそれ以上に重要な要素となります。

また、この歴史は、私たちに「自国の都合の良い解釈」や「感情」に流されず、常に「客観的な事実」に基づいて物事を判断することの重要性を教えてくれます。情報が溢れる現代社会においてこそ、私たちは過去の過ちから学び、多角的な視点から情報を読み解く力を養う必要があるのではないでしょうか。

日本の戦争責任を語る際に、この「情報戦の敗北」という側面を無視することはできません。それは、日本人が自国の歴史を深く理解し、未来へと活かすための重要な教訓なのです。

(C)【歴史キング】

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