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【修身00】温故知新!現代に活かす修身の教え

はじめに 日本人を育んだ魂の教育、今なぜ再び必要なのか

「修身」という言葉に、どんなイメージをお持ちでしょうか? 

戦前の古い教育? 

もしかしたら、「戦時中の教育と結びつくのでは?」といった誤解をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、それは全くの誤りです。

私たちはこの連載を通して、修身こそが、日本人を精神的に強く、そして他者を思いやる心豊かな国民へと育んだ素晴らしい教育であったことを、皆さんと一緒に再認識していきたいと考えています。

日本の近代化と精神的基盤の探求

明治時代、日本は欧米列強に追いつくべく、急速な近代化を推し進めました。その象徴の一つが、明治22年(1889年)に公布された大日本帝国憲法です。これは、不平等条約の改正を目指し、国際社会に日本の法治国家としての体制を示すための、重要な一歩でした。

伊藤博文がドイツのプロイセン憲法を参考に骨格を作り上げたこの憲法は、欧米の近代的な法制度を取り入れる画期的なものでした。しかし、当時の日本人には、この憲法に「何か足りない」と感じる部分がありました。

古くは聖徳太子の十七条憲法に象徴されるように、日本の伝統的な規範には、常に道徳的・倫理的な教えが深く根ざしていました。

「和を以って貴しとなす」といった精神が、社会の基盤をなしていたのです。そのため、欧米型の近代憲法には、当時の日本人が当然と考えるべき「心の教え」が欠けていることに、少なからぬ不安や物足りなさを覚えたのです。

法と心を繋ぐ「教育勅語」の役割

この「心の空白」を埋めるべく、大日本帝国憲法公布の翌年、明治23年(1890年)に発布されたのが、「教育に関する勅語」、通称「教育勅語」です。

大日本帝国憲法が欧米の近代的な法体系に連なる「国の骨格」であったとすれば、教育勅語は、聖徳太子の十七条憲法以来の日本の道徳観に深く根ざした「心の規範」であったと言えるでしょう。これにより、日本は、法と道徳という二つの柱を持つ国家として発展していくことになります。

欧米諸国では、憲法は世俗的な法を扱い、道徳や倫理は主に教会が担う役割でした。しかし、日本には欧米のような特定の宗教が国民の道徳を一元的に指導するシステムはありません。神道は欧米の宗教とは異なり、特定の教義で道徳を説くものではありませんし、儒学の教えは古くから日本の行動規範と融合し、日本独自の「心学」として道徳規範を形作っていました。

教育勅語は、こうした日本の土壌に根ざし、特定の宗教に偏ることなく、普遍的な徳目を提示した点に大きな特徴があります。

時代を超えた「教育勅語」の普遍性

教育勅語には、現代の視点から見ても非常に注目すべき二つの普遍性があります。

一つは、特定の宗教・宗派に囚われない、普遍的な道徳性です。

教育勅語は、キリスト教や仏教といった特定の宗教の教義に依拠することなく、どの文化圏においても通用する道徳の原則を説いていました。これにより、当時の日本は、世界的に見ても極めて宗教に寛容な国家としての基盤を築くことができました。

例えば、当時のフランスではカトリックの神父や修道女が公立学校で教えることは制限されていましたが、日本ではカトリック系の学校が多数設立され、国家の承認を得ていました。これは、教育勅語が宗派を超えた共通の道徳規範として存在したからに他なりません。文部省が教育勅語を英訳、漢訳、仏訳、独訳の4ヶ国語に翻訳し、世界にその普遍性を発信していたことからも、当時の政府がその普遍性を認識していたことが伺えます。

もう一つは、科学の発展と調和する合理的な倫理観です。

教育勅語は、奇跡や教義に依拠する宗教的な道徳観とは異なり、自然科学の進歩と矛盾することのない、普遍的な倫理的教育を目的としています。これは、十九世紀後半という時代において、極めて先進的で近代的な視点を持っていたと言えるでしょう。

なぜ、普遍的な教えは失われたのか?

これほどまでに普遍的で、日本人の精神的支柱となった教育勅語が、なぜ失われてしまったのでしょうか?

教育勅語は、第二次世界大戦後の昭和23年(1948年)、GHQ(連合国軍総司令部)の示唆を受け、日本の国会によって失効が確認され、排除が決議されました。しかし、教育勅語の文言の中に、軍国主義や侵略を煽るような記述は一切ありません。教育勅語が発布されたのは日清戦争の前であり、当時の日本はむしろ清国に脅かされる立場でした。

教育勅語に記された「孝」(親への孝行)、「友」(兄弟姉妹の友愛)、「和」(夫婦の和睦)、「信」(友人の信頼)、「恭倹」(自己への謙遜と節約)、「博愛」(すべての人への愛情)、「修学、習業」(知識の啓発と徳性の成就、公益の促進)、「国憲、国法」(国家の法規の尊重と遵守)、「非常事態」(義勇と奉公)といった徳目は、世界中のどの国、どの時代においても普遍的に尊重されるべきものです。

当時の文部省や国会議員が、占領下の状況において過剰に反応し、GHQの意向を推し量って廃止を決議してしまったのが実情に近いと考えられています。戦争犯罪人や公職追放令に抵触することを恐れ、戦前の体制を弁護するような発言を控える風潮が強かったことも背景にあります。

失われた「心の栄養」と現代教育の課題

教育勅語の失効は、単に一つの法令がなくなっただけではありませんでした。教育勅語に込められていた普遍的な徳目までもが、戦後の教育から抜け落ちてしまったかのような影響を与えました。これは、日本人の精神形成にとって、極めて大きな「心の栄養」が失われたに等しい出来事でした。

戦前の小学校では、算術の九九や国語の五十音図と並んで、修身の教育勅語を暗記することが当たり前でした。子供たちは、「父母に」と言われれば「孝」と、「一旦緩急アレバ」と言われれば「義勇公に奉ジ」と反射的に答えられるほど、その精神を自然と身につけていたのです。

教育勅語は、昔から日本人の道徳規範として存在していたものを、あらためて言葉にしたものでした。だからこそ、当時の日本人には自然に受け入れられ、親も子にその精神を教えていたのです。それが失われたことは、日本人の意識から普遍的な徳目が薄れていくことに繋がったと言わざるを得ません。

戦後の教育においては、教育勅語に代わって教育基本法が制定されましたが、これはあくまで「法律」としての性格が強く、道徳感情を刺激し、自己修養や向上心へと向かわせるような温かみに欠ける側面があります。道徳教育は、単なる規範の提示ではなく、子供たちの心に響く具体的な物語や実践を通してこそ、真の力を発揮します。

戦前の修身教科書には、古人の立派な道徳的行為を描いた物語が満載でした。そうした物語に触れることで、子供たちは心を動かされ、感動し、自らの向上心を育んでいました。『少年倶楽部』や『少女倶楽部』といった少年少女雑誌も、立志の物語を通して、当時の子供たちの心を大いに刺激し、多くの立派な人物を輩出したのです。

現代の日本の子どもたちに必要なのは、まさにこうした徳目を具体的な行動や物語で示すことではないでしょうか。

戦後、「立志」や「向上心」といった言葉が「偽善的」と避けられる風潮が見られましたが、青少年の心を強く打つのは、いつの時代も具体的な行動を示す偉人の物語です。スポーツの世界に限らず、もっと幅広い分野において、子供たちの心に響く道徳的な物語が提供されるべきだと強く思います。

修身は、決して特定の思想を強制するものでも、ましてや戦争へと国民を駆り立てるためのものでもありませんでした。むしろ、そこには古くから日本人が大切にしてきた「利他の精神」や「勤勉さ」「礼儀正しさ」といった、普遍的な徳目が凝縮されていました。

私たちはこの連載を通して、当時の修身教科書に掲載されていた具体的なエピソードをご紹介していきます。読者の皆様には、修身が「日本人を素晴らしくした教育」であったことを実感していただくとともに、現代の私たちにも通じる、いや、現代だからこそ学ぶべき修身の教えがそこにあることを感じ取っていただければ幸いです。

さあ、歴史キングと一緒に、日本の素晴らしい「修身」の精神を再発見する旅に出かけましょう!

(第2回 近日公開)

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