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お市の方の生涯ーーNHK大河ドラマ『どうする家康』では北川景子さんが演じて話題に!

🟣「天下一の美女」お市の方の生涯

2号

こちらのコラムは、2号が担当しました🙇‍♂️

約1年前に執筆して、ほぼ日の目を見ることなく埋もれてしまったコラムですが、時期的な微調整を加えて、こちらにアップさせて頂きました。

日本映画の歴代興行収入第1位を記録したのは、ご存じアニメ・『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(2020年)です。鬼が登場する架空の話ですが、刀を武器に鬼と戦う剣士の話でもあります。やっぱり日本人は、剣士・サムライが好きですよね。最近では2023年4月から始まる新テレビシリーズ「鬼滅の刃ー刀鍛冶の里編ー」の放送に先駆け、全世界で“特別編”の映画が上映されており、敵である上弦の鬼たちが勢揃いすることでも話題を呼び、大ヒットしています。

そして大ヒットと言えば、忘れちゃいけねェ(忘れるはずがねェ)、

2023年放送のNHK大河ドラマ(日曜夜20時)『どうする家康』も大変好調です!

巷や各メディア、インターネット界隈でも、行きつけの場末のスナックでもワイワイ。

至る所で大きな話題となっており、歴史ファン、大河ドラマファンの2号(筆者)としては、大変うれしい限りです。

さて、今回は『どうする家康』にて、前半の重要人物として度々登場するであろう

「お市の方」にスポットライトをあててお話します。

「お市の方」と言えば、織田信長の実の妹で、戦国一の美女とも謳われた人物。

語りたいことは色々とあるのですが、せっかく『どうする家康』で、家康公が主人公なわけですから、ここでは、その家康公とお市の方の関係について“最後に”2号の考察をいれています。

「お市の方」

『どうする家康』で、「お市の方」を演じるのは、男性にも女性にも人気のあるパーフェクトフェイスの北川景子さんです。

炎柱・煉獄杏寿郎(鬼滅の刃)の「壱の型(いちのかた)」!もカッコ宜しいが、北川景子さん演じる「お市の方」もまた魅力的でカッコ宜しゅうございます!宜しい景子!(馴れ馴れしいゾ!)

だが、しかし!

「お市の方」と言えば、個人的には1981年(昭和56)※もう40年以上前になるんですね汗、放送の大河ドラマ『おんな太閤記』で夏目雅子さんが演じた「お市の方」が僅差ながらナンバー1なんですよね。

ブルマにゾッコンのベジータであっても、こう言うかもしれません。

「・・・お、お前もナンバー1だ(テレ)」。

本当に綺麗でした。まさに戦国一の美女と言われる姫にふさわしいものでした。

北川景子さん演じる「お市」も負けないくらい綺麗だということは認めますので(偉そうだゾ)、今後の展開も楽しみです。

写真出所:NHK「おんな太閤記」

私の語りたい家康とお市の方の関係の前に、まずは簡単にお市の方の人生を時系列で紹介します。

お市の方の前半生

1547年(天文16年) 

前半生の記録は“ほぼ”ないのですが、

領主・織田信秀(信長の父)の五女として、尾張国那古野城(現名古屋城)に生誕したとされています。お市の方が産声をあげた時、信長は13歳で中学1年生でした。

家康が尾張(織田家)で人質として過ごしたのが、1547年~1549年頃と言われているので、家康(竹千代)とは『幼少時に同じ場所にいた』という可能性もあり、少なからずお市の方とコンタクトがあったとも考えられますが、そのような記録は何もありません。2人の年代を現代で例えると、家康が小学校1年生なら、お市の方は保育園にも通ってもいないような幼女でした。これでは『どうする家康』で描かれていたような、お市の方が人質時代の家康に恋心を持っていたというのはムリがある気がします。

「ただ・・・」これが今回一番語りたい内容なのですが、後ほど。

繰り返しになりますが、お市の方の前半生の記録はほとんどありません。後に、浅井長政と柴田勝家という二人の夫に嫁いだことはわかっていますが、浅井長政との結婚も初婚ではなく、二度目であり、再婚だったという説もあるほど。そういう説もまことしやかに囁かれ、またそれも完全に否定できないほど、とにかく明瞭な記録が残っていないのです。

浅井長政と政略結婚

これは史実としてハッキリと残っていますが、1567年(永禄10年)~1568年(永禄11年)頃、お市の方20歳頃、北近江の大名・浅井長政(小谷城主=滋賀県長浜市)と結婚します。当時はもちろん恋愛結婚なんてないので、お市の方はマッチングアプリを利用することなく、結婚情報誌ゼクシィを見ることもなく、浅井家へと嫁ぎました。

ちなみに大河ドラマで浅井長政を演じてきた歴代の役者たちを数名挙げると、杉良太郎さん、風間杜夫さん、辰巳琢郎さん、宅麻伸さん、時任三郎さん、らがいます。シブイ!シブイぞ!長政くん!

美濃まで勢力を伸ばした兄・信長にとっては、美濃から京都までの道筋に位置する浅井家と同盟を結びたい!というのが本音でした。よって、『痛快☆上洛大作戦!』を目指す信長が、背後の敵になりうる浅井家と結んだわけです。この時、主従関係のようなものはなく、割と対等な関係(文字どおり同盟)であったと考えられます。というのも当時信長は孤立気味だったので、浅井家との同盟はメッサ喜んだと言われています。

お市の方が浅井長政と結婚したということは紛れもない事実なのですが、正確な時期はわかっていません。早くは1561年とか1564年頃という説もありますが、その段階では美濃にまで信長の勢力が及んでなかったので、1568年頃と考えるのが自然な流れではないでしょうか。

この結婚で、晴れて織田家と浅井家の間に同盟関係が結ばれたわけですが、「女性」というのは、このような戦国時代には、当たり前のように政争の道具にされていました。当然、本人の気持ちなんて一切関係ありません。華麗にスルーです。さぞかし、相性の悪い相手先に嫁いだ女性も多くいたでしょう。可哀想。

しかし、お市の方と長政の間には三人の子供(全員、娘)がもうけられており、また、長政と、お市の方の夫婦仲はきわめてよかったと言われています。もしかすると、このときお市の方は戦国時代という乱世にあって『ひとときの幸せ』を手に入れていたのかもしれません。

なんでもないようなことが、幸せだったと思ふー。

なんでもない夜のこと、二度とは戻れない夜ー。

・・・(ハーモニカの音)

長政とお市の方の、三人の子供たち(浅井三姉妹)

長女=茶々(のちの淀君)、豊臣秀吉の側室

次女=初(のちの常高院)、京極高次の正室

三女=江(のちの於江与の方)、徳川秀忠の正室

お市の方と娘三姉妹は、戦国の女性の代名詞として語られることが多いわけですが、日本史上でも最も有名な三姉妹かもしれませんね。

記憶に新しいところでは、三女の江は、2011年放送の大河ドラマ『江 ~姫たちの戦国~』で主人公(役:上野樹里さん)として描かれました。

このときの、お市の方が鈴木保奈美さん、長女(茶々)が宮沢りえさん、次女(初)が水川あさみさんと、なかなかの豪華キャストでしたよね。懐かしのCM・ポッキー四姉妹に負けず劣らず豪華メンバーですよ。いやぁ、昔は良かった。

写真出所:NHK『江 ~姫たちの戦国~』

お市の方や長女の茶々(淀君)はどちらかと言うと【悲劇の人】のイメージがつきまといますが、三女の江は、のちに、徳川二代将軍・秀忠の正室となり、娘は天皇家に嫁ぎ、息子は第三代将軍となっていますから、上り詰めたイメージもあります。

しかし、二度の落城により父と母を失い、政争の道具にされ三度の結婚、さらには、姉・淀と敵味方に分かれる、など、やっぱり悲劇的な面も払拭できないかもしれません。トータルで考えると、『戦国時代の苦しみを知り尽くした女性』と言えるかも。

夫・長政が、兄・信長に対する裏切り

さて、お市の方の生涯に話しを戻します。

1570年(元亀元年) 24歳頃

兄・信長が、越前国の朝倉義景を攻めた際、夫・長政が信長を裏切り背後をつくという“とんでもな!”裏切り行為が起こります。

「おいッ!同盟はどうした!どうしたんだいッ!」信長きんに君は、あわてふためきます。

(ただ、織田家と浅井家の同盟の際に、浅井にとって盟友である朝倉を攻めないという暗黙の了解があったとされるので、先に裏切ったのは信長だという考えもあります。これはまた別の機会に。)

信長にとってはこの“とんでもな!”事態に、京都へ退却せざるを得ませんでした。その時の状況は、命からがらで、九死に一生を得たというレベルでした(私の大好きな「朽木越え」エピソード)。割とピンチでしたよ、信長は。

このとき、お市の方が小豆入りの袋の両端をしばったものを陣中見舞いと称して信長に送り、暗に長政の裏切りを伝えたという有名なエピソードがありますが、真偽については不明のようです。

短くて激動の人生

1573年(天正元年)、お市の方27歳頃、

「織田家と浅井家。手と手を取り合って、同盟結んで仲良く、ラン、ラ、ラ、ラン♪」

なんて夢物語はどこへやら。

裏切りの報復として、兄・信長が浅井の居城であった小谷城を攻め落としにきます(小谷城の戦)。城と言っても、住んでる家に攻め込んでくるのだから、こりゃ大変!

信長は実の妹が嫁いだ先とはいえ、同盟関係を結んでいた相手(長政)に裏切られたわけですから、これを討たなければ示しがつきません。激オコ信長丸です!(ただ、本当に怒っていたかどうかは微妙。示しがつかないから攻めた感じも??)

戦の結果は、➡信長勝ち。長政負け。

信長に、あっさりと小谷城を攻略されてしまい、長政(浅井家)の敗北で事実上の滅亡です。夫、浅井長政は自害してしまいました。

このときお市の方は、3人の娘とともに秀吉によって救出され、その後は、兄・信長が庇護したとみられています。娘たちのその後は、先述のとおりであり、浅井家が滅亡となっても、実際には浅井の血は残り、少なからず後の時代に影響を与え続けました。泣けるやん。

1582年 (天正10年)、36歳頃

また事件です。いや、大事件です。日本史上トップクラスの大事件です。

兄と夫の争いから、約10年後。今度はその争いの勝者であった兄が歴史の表舞台から退場します。

そう、あの「本能寺の変」です。

どんな内容であったかは、もう端折りまくります。

お市の方は、兄・信長が亡きあと、今度は織田家の古参であり、信長も重宝した重臣、柴田勝家と再々婚し、越前国(福井県福井市)北ノ庄城(現在の福井城)へ移しました。

ちなみに大河ドラマで柴田勝家を演じてきた歴代の役者たちを数名挙げると、宍戸錠さん、中尾彬さん、松平健さん、らがいます。うん!もさい!もさいぞ!勝家くん!

そしてようやく、娘三人と平穏な暮らしを送ったとサ・・・

めでたしめでたし・・・おしまいおしまい・・・

というわけではなく、すぐさま、またまた、戦国の荒波に飲み込まれていくわけです。

泣けるやん。いや、泣きたいやん。スゲーやん、戦国時代。

1583年6月14日(天正11年4月24日)、

お市の方37歳のとき、賤ヶ岳の戦(現:滋賀県長浜市)にて夫・柴田勝家が豊臣秀吉に敗れ、北ノ庄城で夫勝家とともに自害しました。ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄がプロ野球選手を引退したのが、39歳。世界のサダハルオーは40歳で引退。お市の方は37歳で人生の…生涯の幕を閉じるわけですから、、は、早すぎです。

前夫の長政が戦いに敗れたときは「生きる」道を選んだお市ですが、この時は「自害」を選択します。その考察については、また機会があればお話します(またの機会が多いか!?)。

一方、3人の娘は、また秀吉が救出しました(また??)。

戦国一の美女とも言われ、また、戦国女性の代名詞とも言われるお市の方ですが、こうして短くて激動の人生に自ら終止符を打ったのです。

『どうする家康』でのお市の方の家康に対する幼少時の淡い恋心

さて、いよいよ私が今回で1番語りたかった内容です。

北川景子さん演じるお市の方は最高です!『おんな太閤記』の夏目雅子さんにも匹敵するくらいの、戦国一の美女のイメージぴったり!

そんな『どうする家康』でのお市の方ですが、幼少時に家康と接触があり、そのとき家康に恋心を抱くというシーンがありました。

先述の通り、家康の尾張での人質時代の年代(1547年~1549年頃)とお市の方の出生時期(1547年頃)を考えると、接点はあったかもしれませんが、とくにお市の方が恋心を抱くような年代だっかという点に疑問が残ります。

そして、桶狭間の戦い後に信長と家康が同盟関係を結ぶ際には、信長の命で、二人があわや結婚するのではないか?というシーンもみられましたね。

私は、この関係性は、『どうする家康』の完全なる独自の創作シーンかなと思っていました。そう、その日、あの時、あの場所までは・・・w

というのも、色々調べてみると、家康とお市の方を信長が結婚させようとした点については、完全なる創作とも言い切れないのではないかなということがわかりましたので、その根拠とともに説明します。

直木賞作家の安部龍太郎さんによれば、「ふたりは男女の関係にあった」として、長編小説『家康』でもその関係を描いています。そして、「家康の重臣が残した日記の記述から、ふたりは婚約し、床入りまで済ませていた」と確信するに至ったそうです。・・・ステキやん。

また、当時来日していたポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが、書簡で家康を「信長の義弟である三河の国王」と表現していることもわかっています。ブラボー!

ましてや「戦国一の美女」と謳われる北川景子さんのような美貌のお市の方と、大人気ジャニーズグループ・嵐のマツジュンこと松本潤のような整ったイケメンの徳川家康なのですから、美男美女が結ばれるのは至極当然だと思います。

これらの根拠から(最後は省く)、安部さんは、家康とお市との婚約を裏付けていると考え、『家康』ではそのように描いているということです。

確かに説得力があると、2号は思います。

私はこれ以外にもーーこれは全く資料的、物理的な証拠ではないですが、現実に信長は後に近江という戦略上重要な土地の浅井家に嫁がせています。桶狭間直後の信長にとって、明らかに隣国の三河と美濃は重要な場所でした。

これより少し後、美濃からは領主斎藤道三の娘を妻に娶っていますが、これも完全な政略結婚であることは疑いようがないでしょう。だとしたら、もう一つ重要拠点、三河の領主と実妹を結婚させようとしても不思議はありません。

むしろ、天下統一を志す信長にとっては、目先の課題は三河です。三河をガッツリ押さえることができたら、今川、北条、武田などの強敵の心配は当面はなくなるという計算も自然にたちます。

さらに、お市の方の三女のお江が後に徳川家にとって重要なポジション(将軍の正室)に就いているということも重要かなと思います。

だからと言って、『こんな重要なポジションに、お市の方の娘を就けた』というだけで、家康はお市の方に相当肩入れしていたはずだ!などと言うつもりはありません。

しかし一方で、『そのポジションがお市の方の娘だからダメ!』ということでもなかった。これもまた事実かなと思います。あくまでもこれは推測の域を出ませんが、私は、家康がお市の方に何らかの思いがあったのではないかとみています。

同じようなことが春日局にも言えるんですよね・・・。本来なら敵対した、親分信長を殺した光秀の重臣の娘ですからね、春日局は。

家康に何らかの思いや後ろめたさがあったとしても不思議ではないような気がしてます。

が、『この話題』も(喋りたいが!)、これもまた、いずれ別の機会で!

(C)歴史キング 2025.04.25

Information

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本のご紹介

お市の方の生涯 「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像 / 黒田 基樹 (著)

 (朝日新書) 新書 – 2023/1/13

お市の方は織田家でどのような政治的立場に置かれていたか? 浅井長政との結婚、柴田勝家との再婚の歴史的・政治的な意味とは? さらに3人の娘の動向は歴史にどう影響したのか? 史料が極めて少なく評伝も皆無に近いお市の方の生涯を、最新史料で読み解く。

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