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1.後藤新平│ 父と呼ばれた日本人

🔵「台湾近代化の父」「都市計画の父」など7つの称号を冠された医師、政治家としての信条

はじめに――なぜ、「父」と称えられるのか

幕末から明治、大正、昭和にかけての激動の時代に、日本は欧米列強を手本として近代国家形成にまい進し、政治、経済、科学技術、司法、文化とあらゆる分野において先駆的役割を果たした偉人たちを多く輩出しました。「近代日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一、「台湾近代化の父」「満州開発の父」「国際開発学の父」「都市計画の父」など7つの称号を持つ後藤新平、「日本病理学の父」山極勝三郎……彼らはなぜ、「父」と呼ばれるようになったのでしょう。

たとえば、渋沢栄一は、91年の生涯に、実業分野500以上、社会公共事業600以上の事業に携わったといわれます。主なものだけでも、日本興業銀行、東京海上火災保険、東京瓦斯、王子製紙、新日本製鐵、麒麟麦酒(きりんビール)、アサヒビール、帝国ホテル、東京商工会議所、東京証券取引所の設立など、日本近代産業のあらゆる分野に及びます。

後藤新平は、台湾総督府民政長官、南満州鉄道初代総裁、東京市第7代市長などを歴任し、短い在任期間でことごとく成果をあげていますし、山極勝三郎はその業績が「幻のノーベル賞」と称えられた日本医学界の大恩人です。

彼らが「父」と呼ばれる最大の理由は、もちろん各々が活躍した分野で抜群の功績を挙げたことですが、理由はそれだけではありません。

大きな志、日本人としての気概、困難なことに立ち向かう冒険心、後世の人々に伝えるべき理想の追求、そして彼らの出生地や出身学校、生活基盤を置いた地域、あるいは彼らが教鞭を執ったり研究を行ったりした機関などで関わった人々が、その「偉業と志を後世の人々に語り継がなければならない」という強烈な思いをもって功績を称えてきたことが大きいのです。

本記事では、こうした「父」と呼ばれた偉人1000人超のリストから、特に近代日本の産業界に大きな貢献をした「父」の功績をたどりつつ、「父」なる称号の持つ意味について考えたいと思います。

近代国家の形成という激動の時代に、各分野で先駆的役割を果たし、「父」なる称号を得た偉人が数多くいます。彼らが「父」と呼ばれるのは、その功績とともに、出生地や出身校、生活基盤を置いた地域、あるいは教鞭を執ったり研究を行ったりした機関などで関わった人々が「この偉業と志を後世の人々に語り継がなければならない」という強烈な思いを持って行動したからです。

たとえば、台湾総督府民政長官、南満州鉄道初代総裁、東京市第7代市長などを歴任した後藤新平(1857~1929)は、短い在任期間でことごとく成果をあげ、その意志を引き継いだ人々によって、「台湾近代化の父」「満州開発の父」「国際開発学の父」「都市計画の父」など7つの称号が遺されています。

後藤は医師としてキャリアをスタートしてすぐ、日清戦争帰還兵の大量検疫に当たり、当時恐れられたコレラ菌を水際で防ぎました。このとき、「治療よりも予防が重要」という教訓を得たことから、のちに東京市長として水道の塩素殺菌というインフラ整備に着眼することになったといわれています。現在、日本の水道水を安心して使用できるのは、後藤の功績によるところなのかもしれません。

帰還兵の検疫で見せた後藤の行政手腕は児玉源太郎の目にとまり、児玉の台湾総督就任にともない民政局長(民政長官)に大抜擢されます。

統治に当たり最大の課題は、抗日ゲリラの一掃とアヘン、伝染病の撲滅でした。抗日ゲリラには職を与え、アヘンは50年の歳月をかけるほどの融和策を実行し、伝染病については生活用水を改善するなど、台湾近代化の礎を築いたことから、台湾の人びとはいまも後藤に敬愛の念を抱いています。

能吏として台湾の発展に尽くしたのち、後藤は再び児玉の下で満州経営を整え、政治家に転じてからは関東大震災後の東京復興、水道殺菌による乳幼児死亡率や平均余命の改善と、驚異的手腕を発揮します。

医師、行政官、政治家いずれの職でも、後藤は「人間らしい暮らしや安全」を着実に実現することに精魂を傾けました。

その過程で出会った人びとは一様に後藤の資質を見込み、人物に惚れて交遊しました。後藤が、遊説中の負傷を治療した板垣退助も、自宅を抵当に入れて読売新聞の買収を援助した正力松太郎も、後藤を称えるエピソードを残しています。

晩年も休まずに、少年団日本連盟初代総裁(ボーイスカウトの父)、拓殖大学学長、東京放送局(現・日本放送協会)初代総裁(放送の父)などを歴任します。とくに少年団の活動に熱心で、会合には制服着用で出席し、「人のお世話にならぬよう。人のお世話をするよう。そして、報いを求めぬよう」という標語をつくりました。

1929(昭和4)年に71年の生涯を閉じますが、十三回忌に当たって後藤の故郷・水沢に日本最初の公民館(現・後藤伯記念公民館)が建設されます。後藤の生涯を貫く信条は、「自治」と「公共」。これが形になったことから、死後、「公民館の父」と称されています。

(C)【歴史キング】

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後藤新平 日本の羅針盤となった男 / 山岡 淳一郎 (著)

単行本 – 2007/2/24

時代を超えた構想力で近代国家としての針路を示した、これほどの傑人が日本にいた! 内務官僚、台湾民生長官、満鉄総裁、東京市長を歴任し、壮大な帝都復興計画を立案した不世出の政治家の軌跡に、近代から現代へと続く日本の可能性と限界とを読み取る。

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本記事では、こうした「父」と呼ばれた偉人1000人超のリストから、特に近代日本の産業界に大きな貢献をした「父」の功績をたどりつつ、「父」なる称号の持つ意味について考えたいと思います。

歴史キング

目次

「台湾近代化の父」「都市計画の父」など │7つの称号を冠された医師、政治家としての信条

2.長州五傑

「工学の父」「造幣の父」「鉄道の父」など│ 殖産興業策を主導した「長州五傑」

3.薩摩藩英国留学生

「維新の父」の遺志を継いで近代化を実現した│「大阪財界の父」「電気通信の父」「ビールの父」

4.渋沢栄一、大原孫三郎、武藤山治

「社会の公器」としての企業の存在意義と経営の模範を示した│「近代日本資本主義の父」「近代経営の父」

5.小栗忠順

海軍と殖産興業の土台を築いた│明治国家誕生の「ファーザーズ」「日本近代化の父」

6.前田正名

日本全国を練り歩き在来産業の振興に人生を捧げた「殖産興業の父」「明治産業の父」

7.江藤新平、山田顕義、児島惟謙

民生の安定と人権確立に尽くした│「近代日本司法制度の父」「日本近代法の父」「司法権独立の父」

8.初代 田中久重、藤岡市助、二代 島津源蔵

近代重工業、電気、蓄電池……│技術立国日本の礎を築いた3人の「日本のエジソン」

9.豊田佐吉、豊田喜一郎

「発明の父」「大衆車の父」機械産業と自動車産業における偉大な父子

10.赤松則良、上田寅吉、渡辺蒿蔵

日本初の洋式軍艦と東洋一のドックを建造した3人の「日本造船の父」

11.片寄平蔵、屋井先蔵

産業の近代化から重工業化へのエネルギー基盤を築いた「石炭の父」と世界初の発明を成した「乾電池の父」

12.今泉嘉一郎、渡辺三郎、石原米太郎

「鉄は国家なり」を導いた群馬県出身の3人の鉄鋼の父

13.志田林三郎、小花冬吉、辰野金吾

電気工学、鉱業、近代建築の各分野で「父」と称される工部大学校第1回卒業生

14.山田脩、高橋長十郎、山辺丈夫

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15.本木昌造、ジョセフ・ヒコ、岩谷松平

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16.上野彦馬、下岡蓮杖、田本研造

内戦から文明開化に至る激動の時代を記録した日本写真界の三大先駆者

17.柳沢謙、熊谷岱蔵、山極勝三郎

幻のノーベル賞といわれた日本医学界大恩人の偉業│「日本病理学の父」「結核撲滅の父」

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【特別コンテンツ】

18.47都道府県ゆかりの「父」たち

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