
青森の偉人・昭和を動かした女性たちの原点──羽仁もと子という問い
「日本初の女性ジャーナリスト」とは何を意味するのか

青森県
羽仁もと子──その名を聞いてすぐにピンとくる人は、決して多くはないかもしれない。しかし、彼女の残した功績は、今の私たちの暮らしや価値観に確かに息づいている。1873年(明治6年)、青森県八戸市に生まれた彼女は、日本で初めて新聞記者としての職に就いた女性であり、教育者・思想家としても一時代を築いた人物である。

彼女の人生をたどることは、同時に「女性が社会に出るとはどういうことか」「家族とは何か」「教育とは何のためにあるのか」といった本質的な問いを立て直す作業に他ならない。
上京と試練──時代を超える挫折と再起
もと子が上京したのは16歳の冬。東京府立第一高等女学校に編入し、のちに無教会派のキリスト教信仰を貫くこととなる原体験を得る。在学中、熱心に読んでいた「女学雑誌」の編集長・巌本善治のもと、明治女学校に入学。ここで雑誌校正の仕事を任され、文字と思想の世界に深く踏み込んでいった。
しかし、その後一度は帰郷し、教職に就き、結婚するも半年で離婚。彼女は著作集『半生を語る』の中で、この経験を「本当に自分の無力を痛感した半年」と振り返っている。だがここで歩みを止めることはなかった。再度上京し、1897年に報知新聞社の校正係として就職。やがて書き続けた原稿が評価され、1899年には正式に取材記者となる。まさに、女性が職業として「書く」ことを認められた歴史的瞬間だった。
「家庭を語ることは社会を語ること」──婦人之友社の思想
1901年、同僚だった羽仁吉一と結婚。翌年、新潟での新婚生活を経て1903年に創刊したのが『家庭之友』(のちの『婦人之友』)である。これは単なる主婦向け雑誌ではない。「家庭」という日常の現場から、国家や社会のあり方までをも見通そうという、新しい思想運動だった。
特に注目すべきは、1904年に刊行された「家計簿」である。この家計簿は単なる帳簿ではなく、家庭をマネジメントの単位として捉えるという近代的視点の表れであった。ここに、「生活こそ思想である」という羽仁もと子の核心思想が垣間見える。
彼女の筆致は力強く、読者に語りかけるスタイルだった。その思想は教育にも波及し、読者からの要望に応える形で、1921年には自由学園を創設するに至る。
教育改革の先駆け──自由学園という実験場

自由学園は、単なる新しい学校ではなかった。そこには、「自分の手で昼食を作る」など、生活に根差した実践教育が導入された。知識詰め込みではなく、人格形成を目的とした学び。その建学の精神は、ヨハネによる福音書の「真理はあなたたちを自由にする」に由来している。
校舎の設計は、あのフランク・ロイド・ライトが手掛けた。現在も豊島区に現存する自由学園明日館は、国の重要文化財に指定されており、当時の精神と建築美を今に伝えている。
さらに、1930年には『婦人之友』の読者らによって「全国友の会」が設立され、もと子の思想は地域社会へと広がっていく。女性たちが自主的に集まり、家計、育児、地域との関わり方を学び合うこの運動は、戦後の日本社会の再建にも影響を与えた。
記録に残された“生活する思想”
彼女は数々の著作を遺している。
『思想しつつ生活しつつ』『赤坊を泣かせずに育てる秘訣』『女中訓』『家庭教育の実験』など、どれも家庭の中にある“人間”を見つめ直そうとするものだ。なかでも『思想しつつ生活しつつ』に込められた、「生活のすべてが学びであり、祈りである」という考え方は、今なお色あせない。
もと子は言う。
「われ等は正直に自由自在にその思いを語り、自由自在に愛するところに、人各々の進歩と発見がある」
この一文には、個人の自由と家族の信頼、そして社会との関わり方に至るまで、すべての営みがつながっているという強い信念が読み取れる。
ゆかりの地と、現代に続くレガシー

☑ 自由学園 明日館(東京都豊島区)
フランク・ロイド・ライト設計。一般公開あり。
☑ 羽仁もと子墓所(雑司ヶ谷霊園)
東京都豊島区南池袋。墓標には「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」
http://www.bunny.co.jp/guide/reien.html
☑ 婦人之友社・羽仁もと子記念館



現代に生きる私たちへ──羽仁もと子の“問い”は続いている
羽仁もと子は、単に明治・大正・昭和という激動の時代を生きた人物ではない。彼女が生涯をかけて提示した「生活と思想の融合」という価値観は、情報と消費にまみれた現代においてこそ、より強く輝きを放つ。
SNSで簡単に「共感」や「反応」が得られる今だからこそ、自分自身の生活や家族との関わり方を改めて見つめ直す必要があるのではないか。
羽仁もと子の問いは、私たち一人ひとりに向けられている。
「あなたの生活には、思想があるか?」
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