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7.江藤新平、山田顕義、児島惟謙│父と呼ばれた日本人

🟤民生の安定と人権確立に尽くした「近代日本司法制度の父」「日本近代法の父」「司法権独立の父」

明治政府は近代国家を目指す過程で、旧幕府による「負の遺産」に頭を悩まされます。最大の試練は不平等条約でした。これが完全撤廃される1911(明治44)年 まで、政府は司法制度の整備と近代法の確立を進めることになります。

その第一の功績者は、江藤新平です。1872(明治5)年に初代司法卿に就任した江藤が目指したのは、立法・行政・司法の独立による「三権分立」です。司法職務の制定、裁判所・検察・警察の創設、弁護士・公証人の導入、民法の編纂などを推し進めた江藤は、「近代日本司法制度の父」と称されます。

江藤は公正な裁判の実現を目指して、「司法省誓約」五カ条に「司法は人民の権利を保護する制度であり、民のためにある」と掲げました。江藤の理想は、司法制度の確立による民生の安定と人権確立でした。明治維新は「四民平等」によってわが国の歴史上初めて全国民に等しく人間としての権利(人民の権利)を認めたわけですが、これを推進した江藤の功績は計り知れません。江藤が「人権の父」と呼ばれるゆえんです。

江藤のあとを受けて、刑法および治罪法(のちの刑事訴訟法)の編纂に当たったのが、長州藩出身の山田顕義です。山田は渡欧先で「ナポレオン法典」から多大な影響を受け、帰国後、徴兵令を糾弾する建白書に「兵ハ凶器ナリ」という有名な言葉を残しています。

司法卿就任後は、裁判官制度と判事登用規則を整備して無資格の縁故採用を廃止し、法学教育を受けた人材を登用する法制を整えました。1885(明治18)年、内閣制度発足と同時に初代司法大臣に就任した山田は、独仏の法典を引いて日本の国情に合う条文草案を作成します。1890(明治23)年に公布された民法・商法・民事訴訟法は、論争を経て山田の死後に施行されますが、山田による旧法なくして日本の近代法は成立しませんでした。それゆえ、「日本近代法の父」と呼ばれています。

その山田を司法大臣辞任に追い込む大津事件が起きたのは1891(明治24)年のことです。来日中のロシア皇太子に津田三蔵巡査が切りつけた事件をめぐり、政府と司法が対立します。ロシアの干渉を恐れた政府は、裁判所に津田の死刑を求告しますが、大審院長の児島惟謙は、法律の条文にない刑罰を科すことはできないとして、これを却下したのです。

児島は、司法に政治的判断を求める内閣総理大臣・松方正義と司法大臣・山田顕義に、「法律の不当な解釈運用は国家の威信を失い、外交上の失態を招く」という意見書を提出しました。そして、「三権分立による近代的国家の確立こそ外国に対抗しうる唯一の道である」と判事を励まし、無期徒刑(無期懲役)の判決を下しました。

宇和島藩出身の児島は、維新後、司法卿の江藤に引き立てられ、30代半ばで司法官の道を歩み始めます。そして、三権分立と人権思想を掲げる江藤の薫陶を受け、司法の独立という信念に基づきわが国の司法権確立に死力を尽くしました。その功により、「司法権独立の父」「護法の神」と称えられています。

(C)【歴史キング】

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江藤新平: 急進的改革者の悲劇 / 毛利 敏彦 (著) 

 (中公新書 840) 新書 – 1987/5/25

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日本巨人伝 山田顕義 / 佐藤 三武朗 (著) 

単行本 – 2011/1/1

法を創り、日本を創った。
吉田松陰、木戸孝允、西郷隆盛……巨人たちと幕末・維新を駆け抜けた無敗の軍人は武人の道を捨て、法と教育で新生日本の礎たらんとした。
日本大学の学祖にして、知られざる最後の志士、激動の生涯!

日本には法が必要だ、頼む山田。
幕末の戦乱で功をあげた若き軍人・山田顕義は、岩倉使節団の一員として世界を見聞し、ナポレオンが目指した武力によらない法治国家の理想に共鳴して剣を置いた。政府内の権力闘争、英国法学派との対立、脅かされる司法の独立……。数々の障害を乗り越え、顕義が辿りついた使命は、次代をになう若者を育てる日本法律学校(のちの日本大学)の設立だった。

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本記事では、こうした「父」と呼ばれた偉人1000人超のリストから、特に近代日本の産業界に大きな貢献をした「父」の功績をたどりつつ、「父」なる称号の持つ意味について考えたいと思います。

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目次

1.後藤新平

「台湾近代化の父」「都市計画の父」など │7つの称号を冠された医師、政治家としての信条

2.長州五傑

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4.渋沢栄一、大原孫三郎、武藤山治

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5.小栗忠順

海軍と殖産興業の土台を築いた│明治国家誕生の「ファーザーズ」「日本近代化の父」

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日本全国を練り歩き在来産業の振興に人生を捧げた「殖産興業の父」「明治産業の父」

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新しい産業を生み出した「近代活版印刷の父」「新聞の父」「近代日本のPRの父」

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内戦から文明開化に至る激動の時代を記録した日本写真界の三大先駆者

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幻のノーベル賞といわれた日本医学界大恩人の偉業│「日本病理学の父」「結核撲滅の父」

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18.47都道府県ゆかりの「父」たち

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