
{異名}を持つ、戦国武将たち

これからどんどん更新していくので、絶賛【途中】段階です💦
{独眼竜}伊達政宗
幼少期に右目の視力を失い、隻眼となってしまいました。政宗の師である僧侶「虎哉宗乙」(こさいそういつ)から唐(中国)の猛将・李克用を教えられ、政宗は彼に自身を重ね合わせ、奮い立たせたと言われています。しかし遺言で「自分の死後に絵画や像を残すときには両眼にして欲しい」と残しており、本心としては最後までコンプレックスであったのではないかということが伺えます
{第六天魔王}織田信長
『仏教の修行を妨げる悪魔、天上にいる悪魔』のことですが、比叡山焼き討ちの際に、人々が勝手に恐れ、畏怖したのではなく、信長自らが、この異名を用いたとされています。また、武田信玄との書状のやりとりで、ここでも自ら「第六天魔王」と署名したと言われています。
{越後の虎}{越後の龍}{軍神}上杉謙信
いずれの異名も、上杉謙信が戦に才能に秀ででおり、無類の強さを誇っていたことに起因します。【虎】は本名「長尾影虎」からきていると考えられ、【龍】は旗印(みだれ龍)からきていると言われています。また、謙信が、闘神である毘沙門天を崇拝していたことから、【軍神】とも称されています。
{甲斐の虎}武田信玄
優秀な家臣を多く抱えて、騎馬隊の精鋭部隊を率い、数々の戦で圧倒的な成果を挙げていたことから、群雄割拠の戦国時代において【最強】と謳われていたのが武田信玄が率いる頃の武田家でした。その勇猛果敢な戦いぶりを【虎】に例えられ、統治国である【甲斐の国】と合わせて、その名がついたと言われています。
{美濃の蝮(みのうのまむし)}斎藤道三
【出生時の身分】が大きすぎる影響を及ぼす戦国時代において、1番の下剋上を達成したのは、やはり豊臣秀吉ではないでしょうか。なんせ天下人になっていますからね。それに次ぐのは斉藤道三かと思います。元々は一介の油売りでしたが、主君の謀殺や乗っ取りといった調略で国盗りを果たしましたが、その手法から、マムシと恐れられました
{海道一の弓取り}{東海一の弓取り}今川義元
【海道=東海】は地名のことで、弓取りは、当時がまだ弓矢で戦うといった手法であったことから【弓取り=武士】といったニュアンスでした。戦国最強武将と言えば、武田信玄の名前が挙がりますが、信長に敗れるまで、義元は優れた政治力と軍事力で、東海道一帯を支配下におく、最強候補の戦国武将でした。そう、あの日、あの時、あの場所までは。
{武田四天王}馬場信春、内藤昌秀、山県昌景、春日虎綱
戦国時代において、全国各地にその名を轟かせた武田家ですが、その優秀な家臣の中から、特に目立った存在であったのが、前田、鬼塚、薬師寺、葛西・・・いや、馬場信房(馬場信春)、内藤昌豊(昌秀)、山県昌景、高坂昌信(春日虎綱・高坂弾正)の4名であった。また、信玄の父・信虎と、信玄初期時代では板垣信方、甘利虎泰、飯富虎昌、小山田昌辰(虎満)の4名を指すと考えられる
{徳川四天王}酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政
最終的に天下人となり、江戸幕府を開いた徳川家康に仕えて、家康を支えた代表的な家臣である、清水アキラ、ビジーフォー、栗田貫一、コロッケ・・いや、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政の4名のことを指します
{伊達三傑}片倉景綱、伊達成実、鬼庭綱元
奥州の覇者となった伊達政宗に仕え、その中で特に大きな力となった、片倉景綱、伊達成実、鬼庭綱元の3名を指します。【智】の景綱、【武】の成実、【吏(役人)】の綱元として政宗を支えました
{伊達の双璧}片倉景綱、伊達成実
【伊達三傑】と称された3名の中から、片倉景綱、伊達成実の2名の名を挙げ、こう呼ばれることも多い。才智に優れ、内政・謀略で力を存分に発揮した景綱と、圧倒的な武力によって数々の武勇を築いた成実の活躍は、伊達家の中でも群を抜いていた