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山梨県の偉人:小林一三 — 「乗客は電車が創造する」阪急グループ創業者

郷土博士

山梨県│大阪府│兵庫県

「人生に勝利するには、なにより勝つ心がけが必要である。人が8時間働くなら、15時間働く気概、人がうまいものを食べているときには、自分はうまいものを食べないだけの度胸がなければいけない」

この言葉は、山梨県韮崎市に生まれ、阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループを創り上げた大実業家、小林一三(こばやし いちぞう)の不屈の精神を表しています。

明治6年1月3日生まれであることから「一三」と名付けられた彼は、三井銀行を辞職後、無名の鉄道会社を「今様太閤」と呼ばれる巨大グループへと育て上げ、日本のビジネスモデルとライフスタイルを根本から変革しました。


鉄道沿線に新たな価値を創造

小林一三は1873年(明治6年)、山梨県韮崎市の裕福な商家に生まれました。幼くして両親と死別し、慶應義塾で学んだ後は三井銀行に勤務。しかし、銀行を辞職し、証券会社の設立に失敗して失業するという挫折を経験します。

この窮地を救ったのが、箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)の専務への就任でした。この鉄道は、大阪の梅田と箕面・宝塚を結ぶ、当時としては需要が見込めない路線でした。しかし、沿線を実際に歩いて回った一三は、大阪市内の狭い住居で暮らす人々が、郊外の豊かな自然の中で生活したいというニーズを見抜きます。

彼は「乗客は電車が創造する」という独自の哲学のもと、以下の事業を次々と展開しました。

  • 住宅地開発: 沿線の土地を買収し、当時としては画期的な「住宅ローン」(割賦販売)を導入。サラリーマン層がマイホームを持てる機会を創出しました。
  • 娯楽施設: 箕面動物園や、後の宝塚歌劇団となる「少女唱歌隊」を創設。鉄道に乗って遊びに行きたいと思わせる魅力的なコンテンツを生み出しました。
  • 百貨店経営: ターミナル駅である梅田駅に「阪急マーケット」、後の阪急百貨店を開業。駅と商業施設を直結させることで、世界初の「ターミナルデパート」というビジネスモデルを確立しました。

これらの事業は、鉄道利用者の増加に繋がり、鉄道事業の発展がさらに住宅開発や娯楽施設の充実を促すという、相乗効果(シナジー)を生み出しました。この経営手法は、後に全国の私鉄やJRが模倣する、日本の鉄道ビジネスの原型となりました。

演劇・映画界への進出と多岐にわたる功績

小林一三の創造性は、鉄道事業にとどまりませんでした。

  • 宝塚歌劇団: 温泉施設の屋内プールの失敗から生まれた「少女唱歌隊」は、今や日本を代表するエンターテインメント、宝塚歌劇団へと成長しました。一三は自ら校長となり、脚本も手掛けるなど、その発展に尽力しました。
  • 映画・演劇: 映画制作にも進出し、東宝映画を設立。東京宝塚劇場と合併し、現在の東宝の礎を築きました。また、梅田と新宿にコマ劇場を建設するなど、興行界にも大きな足跡を残しました。
  • ホテル・野球: 日本初のビジネスホテル「第一ホテル」を設立。また、プロ野球球団「阪急ブレーブス」(現:オリックス・バファローズ)を創設し、野球殿堂入りも果たしています。
  • 政治家としての顔: 商工大臣や戦災復興院総裁を務めるなど、政治の世界でも活躍しました。

小林一三が登場する作品

小林一三の生涯は、その多岐にわたる功績とユニークな人物像から、多くの作品で描かれています。

  • 小説:
    • 『小説 練絲痕(れんしこん)』(小林一三):17歳の時に故郷の新聞に連載した自作小説です。
  • 映画:
    • 『小林一三』(2020年):阪急東宝グループの創業者としての生涯を描いた映画です。
  • テレビドラマ:
    • NHK『経世済民の男』(2015年):戦後の混乱期に、戦災復興院総裁を務めた彼の姿が描かれています。
  • 書籍:
    • 『小林一三全集』(全7巻):膨大な著作物を通じて、彼の思想や人柄を知ることができます。
    • 『小林一三と文化』: 美術品蒐集家や茶人としての彼の側面に焦点を当てた書籍です。

小林一三ゆかりの地:創造の足跡を辿る旅

小林一三の足跡は、彼の生まれ故郷である山梨県から、阪急グループの拠点である大阪、そして東京へと繋がっています。

  • 小林一三翁生家跡(山梨県韮崎市):彼が生まれた場所には、その功績を称える石碑が建っています。
  • 逸翁美術館(大阪府池田市):小林一三の雅号を冠した美術館で、彼が収集した5,500件もの美術品が公開されています。
  • 小林一三記念館(大阪府池田市):彼の旧邸「雅俗山荘」を公開しており、生前の暮らしぶりや業績を知ることができます。
  • 小林一三墓所(大阪府池田市大広寺):彼が眠る墓所です。
  • 梅田阪急ビル(大阪市北区):世界初のターミナルデパート、阪急百貨店が誕生した場所です。
  • 宝塚大劇場(兵庫県宝塚市):宝塚歌劇団の拠点であり、彼が演劇事業に情熱を注いだ場所です。

小林一三の遺産:現代社会へのメッセージ

小林一三の生涯は、私たちに「現状に安住せず、新たな価値を創造し続けること」の重要性を教えてくれます。彼は、「乗客は電車が創造する」という言葉に象徴されるように、自らの事業に付加価値をつけ、顧客のニーズを先読みすることで、誰もが思いつかなかったビジネスモデルを次々と生み出しました。

彼の「十里先を見て、それを実行する人が世の成功者である」という言葉は、現代の起業家やビジネスパーソンにとって、重要な指針となるでしょう。また、事業で成功を収めた後も、文化人として茶道や美術に親しみ、多くの人々に文化的な豊かさを提供しようとした彼の姿勢は、真の成功とは、単なる経済的な成功に留まらないことを示しています。

小林一三の物語は、一人の人間が、その創造力と情熱によって、人々の暮らしを豊かにし、社会全体を動かすことができることを証明しています。彼の遺した事業と精神は、現代の日本に、挑戦する勇気と、豊かな未来を創造する智慧を与え続けています。

(C)【歴史キング】

Information

関連する書籍のご紹介

本のご紹介

炎は逸翁自叙伝 阪急創業者・小林一三の回想 (講談社学術文庫 2361) / 小林 一三 (著)

文庫 – 2016/4/12

阪急電鉄の創業者、宝塚少女歌劇の生みの親として知られる小林一三銀行を辞して妻子とともに大阪に行った彼は妻子を抱えてたちまち生活に窮してしまいます。しかし、電鉄事業に将来性を見た彼は、「箕面有馬電気軌道」なる会社の専務に就任。ここから大きく運命が拓けてきます。顧客は創造するものと考えた小林は、郊外に宅地造成、割賦分譲販売、遊園地や劇場、ターミナルデパートと次々とアイディアを繰り出していく……。

阪急電鉄の創業者、宝塚少女歌劇の生みの親として知られる小林一三。甲州から東京に出、慶應義塾に学んだ若き日の小林は小説をものする文学青年でした。卒業後、三井銀行に入った彼は、仕事はするものの必ずしも評価はされず、放蕩に明け暮れる問題行員と目されていました。
日露戦争後、かつての上司で北浜銀行を設立した岩下清周から、設立予定の証券会社の支配人にならないかとに誘われた小林は、このままウダツが上がらないよりはと、銀行を辞して妻子とともに大阪に赴任します。しかし証券会社設立の話は立ち消えてしまい、妻子を抱えてたちまち生活に窮してしまいます。
このとき、小林は箕面有馬電気鉄道設立というの話を聞きつけます。電鉄事業に将来性を見た彼は、岩下を説得し北浜銀行に株式を引き受けさせることに成功。「箕面有馬電気軌道」と社名を改めて専務に就任。ここから大きく運命が拓けてきます。
顧客は創造するものと考えた小林は、線路敷設予定の沿線の土地を買収し、郊外に宅地造成開発をおこない、割賦で分譲を開始します。さらには遊園地や劇場をつくることによって行楽客をつくりだし、ターミナルデパートという誰も考えつかなかったものを産み出します。本書は傘寿を迎えた希代のアイディア経営者が、週刊誌の求めに応じて往時を回想した自叙伝の傑作です。

本のご紹介

小林一三 – 日本が生んだ偉大なる経営イノベーター / 鹿島 茂 (著)

単行本 – 2018/12/19

阪急、東宝、宝塚……。近代日本における商売の礎を作った男。哲学と業績のすべて。博覧強記の著者による、圧巻の評伝。

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