×

静岡県の偉人:賀茂真淵 — 万葉の心を解き明かし、国学を樹立した大歌人

郷土博士

静岡県

「もろこしの人に見せばや み吉野の 吉野の山の 山ざくら花」

この歌に象徴されるように、古代日本の純粋な美意識と精神性をこよなく愛し、その探求に生涯を捧げたのが、遠江国敷智郡浜松(現在の静岡県浜松市)に生まれた賀茂真淵(かもの まぶち)です。

江戸時代中期の国学者、歌人である彼は、読めなくなっていた『万葉集』の歌を解読し、古代日本人の「真の心」を明らかにしました。荷田春満、本居宣長、平田篤胤と並び称される「国学の四大人」の一人として、彼が確立した国学は、後の時代に大きな影響を与えました。


幼少期の学びと国学への目覚め

賀茂真淵は1697年(元禄10年)、浜松の賀茂神社の神官の家に生まれました。幼い頃から学問に秀で、10歳の頃には、国学者・荷田春満(かだの あずままろ)の姪で、浜松で私塾を開いていた杉浦国頭(すぎうら くにあきら)の妻・真崎に手習いを学びました。この出会いが、彼を国学の道へと導く原点となります。

26歳で、浜松に逗留していた春満と歌会で出会った真淵は、国学の道を志し、31歳の頃、家を捨てて京都の春満のもとへ入門。詠歌や学問に没頭する日々を送りました。

江戸での活躍と田安宗武への仕官

春満が亡くなった後、真淵は江戸へと拠点を移します。この頃、彼は50歳を迎えていましたが、その学識の高さが認められ、八代将軍・徳川吉宗の次男である田安宗武(たやす むねたけ)に「和学御用(わがくごよう)」として召し抱えられます。

宗武の知遇を得たことは、真淵の世間的な信頼を大いに高め、彼の門人(県門)は300人を超えました。真淵は、公務の傍ら、歌会や講会を頻繁に開いて、門人たちの指導にあたり、国学の普及に努めました。

師・真淵と弟子・宣長の「松阪の一夜」

真淵の門下生の中で、最も高名な弟子となったのが、三重県松阪の町医者、本居宣長(もとおり のりなが)です。真淵の著作『冠辞考(かんじこう)』に深い感銘を受けていた宣長は、1763年(宝暦13年)、伊勢神宮参宮のために松阪を訪れた真淵と、一夜限りで対面する機会を得ます。これが有名な「松阪の一夜」です。

真淵は、宣長の学問への情熱と才能を見抜き、『古事記』の研究を生涯の課題として勧めました。この出会いを機に、宣長は真淵の門下生となり、以後、真淵が亡くなるまで手紙のやり取りを通して指導を受け、国学を大成させることになります。


「万葉集」研究と国学の樹立

賀茂真淵の最大の功績は、千年以上も読まれなくなっていた『万葉集』を研究し、万葉仮名を解明したことです。彼は、膨大な万葉仮名の宇宙を一つ一つ解析し、和歌の読みを解明しました。

この研究は、『万葉考』として結実し、和歌における古風の尊重(万葉主義)を主張して和歌の革新に貢献しました。また、『冠辞考』では、和歌に用いられる枕詞(まくらことば)の語源や用例を詳細に研究し、その意味を明らかにしました。

真淵は、師である荷田春満の思想性と、契沖の文献考証学という実証性を継承・発展させ、日本独自の学問である「国学」を樹立しました。彼の学問は、人為的な道徳や理屈(漢意)を否定し、日本の古典に見られる古代日本人の純粋な感情や精神性を探求するもので、後の本居宣長や平田篤胤へと受け継がれていきました。


賀茂真淵ゆかりの地:万葉の精神を辿る旅

賀茂真淵の足跡は、彼の故郷である浜松から、学問の道に入った京都、そして活躍の舞台となった江戸へと繋がっています。

  • 賀茂真淵記念館・生誕地(静岡県浜松市):真淵が生まれた場所にあり、彼の功績や著書、生涯に関する資料を展示しています。
  • 縣居(あがたい)神社(静岡県浜松市):真淵を祭神として祀る神社です。
  • 五社公園(静岡県浜松市):真淵の万葉歌碑が建っています。
  • 賀茂真淵県居の跡(東京都中央区日本橋):真淵が「県居」と号し、晩年を過ごした住居跡を示す石碑が建っています。
  • 賀茂真淵墓所(東京都品川区北品川):真淵が眠る墓所です。

賀茂真淵の遺産:現代社会へのメッセージ

賀茂真淵の生涯は、私たちに「古典に学び、自己のルーツを探求すること」の重要性を教えてくれます。彼は、当時忘れ去られていた『万葉集』の価値を再発見し、千年の時を超えて、古代日本人の心を現代に蘇らせました。

彼の「万葉主義」は、単に古い歌を尊重するだけでなく、その歌に込められた偽りのない感情や、作為のない自然な生き方を理想としました。これは、現代社会において、流行や情報に流されることなく、自分らしい生き方を見つけるためのヒントを与えてくれるでしょう。

真淵が本居宣長という優れた弟子を見出し、日本の国学を大成させるきっかけを作ったように、彼の教育者としての功績もまた、後世に大きな影響を与えました。彼の思想と精神は、現代に生きる私たちに、自らの文化とアイデンティティを見つめ直し、未来を創造するための羅針盤となるでしょう。

PAGE TOP