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広島県の偉人/福岡県の偉人:宮崎安貞 — 『農業全書』を著し、近世日本農業を拓いた「農の神様」

郷土博士

広島県│福岡県

「農民が富まざれば、国富まず」

この言葉は、江戸時代の農学者で、『農業全書』の著者である宮崎安貞(みやざき やすさだ)が、その生涯をかけて追い求めた真理です。安芸国(現在の広島県)の藩士の子に生まれた彼は、武士の身分を捨て、自ら農民となって鍬を握り、諸国を巡って農業技術を研究しました。その知識と体験をもとに著した『農業全書』は、江戸時代から明治にかけて、日本の農業技術を飛躍的に向上させ、飢饉から多くの人々を救いました。彼の功績は、大蔵永常佐藤信淵とともに、「近世の三大農学者」と称えられ、今もなお「農の神様」として語り継がれています。

幼少期の苦難から農の道へ

宮崎安貞は、1623年(元和9年)、安芸広島藩士で山林奉行を務める父・宮崎儀右衛門の次男として生まれました。幼い頃から父の仕事に同行し、山林や自然に親しむ中で、植物や土壌に対する関心を育んでいきました。しかし、彼の人生は平坦ではありませんでした。安貞が20歳になる頃、父が何らかの理由で職を辞し、武士の身分を失うという苦難を経験します。その後、安貞は25歳で福岡藩主・黒田忠之に山林奉行として仕え、再び武士の地位を得ますが、30歳を過ぎて何らかの理由でその職を辞し、再び浪人となります。この浪人時代、安貞は西日本各地(山陽道、近畿、伊勢、紀伊など)を巡る旅に出ました。旅の道中、彼は、各村の農民たちが使う農具や栽培方法が少しずつ違うことに気づきます。そして、同じ作物でも土地によって収穫量に差があることを知りました。彼は、農民が優れた技術を知らずにいるのは、藩と藩の境界が厳しく、農民が自由に旅をして新しい知識を得る機会がないからだと考えました。そして、安貞の胸に「自分が農民の代わりに旅をして、良い農業技術を集め、それを農民に広めて、日本の農業全体を進歩させたい」という、強い情熱が芽生えました。

「宮崎開き」と『農業全書』の執筆

安貞は、口先だけで農民に教えることはできないと考え、武士の身分と刀を捨て、自ら農民となって農業を実践することを決意します。彼は、福岡の郊外にある筑前国志摩郡女原村(現在の福岡市西区)に居を構え、農業技術の研究と改善に専念しました。当初、村人たちは、武士の身分を捨てた安貞を「ものずきなお人だ」と冷ややかな目で見ていました。しかし、安貞は、彼らの冷笑に屈することなく、泥まみれになって農作業に励みました。彼のひたむきな姿は、やがて村人たちの心を動かし、安貞は彼らの信頼を勝ち取っていきました。安貞は、村の指導者として、荒れ地の開墾や溜池の建設を指導しました。彼が開拓した水田は、現在でも「宮崎開き」と呼ばれ、その偉業を今に伝えています。農業の実践に励む傍ら、安貞は中国の農書『農政全書』を参考に、自らの見聞と体験を基に、日本で最初の体系的な農学書『農業全書』の執筆を開始しました。五穀、野菜、果樹など、農作物の栽培方法から家畜の飼育方法まで、多岐にわたる内容を網羅したこの書物は、40年におよぶ安貞の情熱の結晶でした。

『農業全書』の完成と死後の名声

1697年(元禄10年)、安貞は75歳で『農業全書』を完成させました。しかし、彼は、本の出版を待つことなく、同じ年に病で亡くなりました。彼の死後、出版された『農業全書』は、水戸黄門として知られる徳川光圀(とくがわ みつくに)をはじめ、多くの学者や農政家たちから絶賛されました。この書物は、その後も何度も再版され、全国に普及。江戸時代から明治にかけて、日本の農業技術を支え続けた、まさに「近世農業のバイブル」となりました。彼の著作は、農民の立場で書かれており、すべての漢字に振り仮名が振られるなど、識字率の低い農民でも読めるような工夫が凝らされていました。これは、彼が「農民が富まざれば、国富まず」という信念のもと、農民の生活向上を第一に考えていたからに他なりません。

宮崎安貞ゆかりの地:農の足跡を辿る旅

宮崎安貞の足跡は、彼の故郷である広島県から、生涯を捧げた福岡市西区へと繋がっています。

  • 宮崎安貞墓所・書斎(福岡市西区大字女原215):彼が暮らした旧宅跡であり、書斎と墓所が保存されています。
  • 宮崎安貞顕彰碑(福岡市西区女原):彼の功績を称える顕彰碑です。
  • 福岡県立糸島農業高等学校:彼の業績を称え、かつて「福岡県立安貞高等学校」と改名された時期がありました。

宮崎安貞の遺産:現代社会へのメッセージ

宮崎安貞の生涯は、私たちに「実践と探求心」の重要性を教えてくれます。彼は、机上の知識だけでなく、自ら鍬を握り、農民と共に汗を流すことで、真の農業技術を身につけました。この姿勢は、現代の私たちが仕事や研究に取り組む上で、現場主義の視点がいかに大切かを教えてくれます。彼の『農業全書』に込められた「農民の生活を豊かにすることこそ、国の真の繁栄につながる」という思想は、食料自給率や地域創生といった課題が問われる現代社会において、改めてその重要性を増しています。宮崎安貞の物語は、一人の武士が、その信念と情熱によって、社会の身分制度や常識を乗り越え、人々の暮らしを豊かにすることができることを証明しています。彼の精神は、現代に生きる私たちに、地道な努力と、社会貢献という真の豊かさを追求することの大切さを、力強く語りかけているのです。

(C)【歴史キング】

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本のご紹介

農業全書 (岩波文庫 青 33-1) / 宮崎 安貞 (著), 貝原 楽軒 (著), 土屋 喬雄 (著)

文庫 – 1936/1/15

日本最古の農業についてまとめた本であり、江戸時代、元禄年間に出版された、当時の農業、農産物について書かれた貴重な書物

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