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奈良県の偉人:西岡常一 — 「木を買わず山を買え」千年の命を繋いだ最後の宮大工

プロフィール

西岡 常一(にしおか つねかず)
1908(明治41)年9月4日生│1995(平成7)年4月11日没(86歳)
「法隆寺専属の宮大工」

  • 出身地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西里
  • 肩書き・役職:法隆寺宮大工棟梁、文化財保存技術者
  • 異名:最後の宮大工、法隆寺の鬼
  • 師弟・家族:【祖父・師】西岡常吉、【内弟子】小川三夫
  • 主な受賞・栄誉:吉川英治文化賞(1973年)、勲四等瑞宝章(1981年)、日本建築学会賞(1981年)、文化功労者(1992年)
  • 代表的な実績:法隆寺昭和の大修理、法輪寺三重塔再建、薬師寺金堂・西塔再建、槍鉋の復元
  • 主な著書:『木に学べ 法隆寺・薬師寺の美』(小学館)、『木のいのち木のこころ』(共著・草思社)
  • 座右の銘:唯我独尊(自分にしかできない仕事をするという意味で好んだ)、不東(薬師寺高田好胤管主より贈られた言葉)

「木は鉄よりも強し。法隆寺を見よ、千三百年経ってもまだ生きとる」

高度経済成長期、日本中が鉄とコンクリートの近代建築に沸き立つ中で、たった一人、頑固に「木」の力を信じ抜いた男がいました。 法隆寺の宮大工の家に生まれ、飛鳥時代から続く寺院建築の技術を現代に蘇らせた伝説の棟梁、西岡常一(にしおか つねかず)です。

学者の理論よりも、千年の時を超えた「木のいのち」に耳を傾け、法隆寺の昭和の大修理、そして薬師寺の白鳳伽藍復興という偉業を成し遂げた男。 「法隆寺の鬼」と畏れられながらも、木と対話し、人を育てたその職人人生と、彼が遺した独自の哲学に迫ります。

祖父のスパルタ教育と「土」の教え

1908年(明治41年)、奈良県生駒郡法隆寺村(現・斑鳩町)に生まれた西岡は、法隆寺の棟梁であった祖父・常吉から、幼い頃より徹底的な英才教育を受けました。

📌 なぜ「農学校」へ進んだのか?

祖父は、跡取りである常一を工業学校ではなく、あえて生駒農学校へ進学させました。 「木を知るには、土を知らねばならん」。 木は生き物であり、育った土地の性質によってその命が決まる。肥料のやり方、土の性質、自然の摂理を肌で学ばせるための、祖父の深謀遠慮でした。この時の経験が、後に「木を買わず山を買え(木が生育した環境ごと見極めろ)」という信念の土台となります。

「法隆寺の鬼」学者との闘い

昭和9年、わずか26歳で法隆寺の棟梁となった西岡ですが、その道のりは平坦ではありませんでした。戦争による中断、戦後の貧困、そして何より「近代建築学者」との対立が彼を待っていました。

⚔️ 木 vs 鉄・コンクリート

法輪寺三重塔や薬師寺の再建において、学者たちは「強度を高めるために鉄骨やコンクリートを使うべきだ」と主張しました。しかし、西岡は猛反発します。 「そんなことしたら、ヒノキが泣きよります」 鉄は錆び、コンクリートは割れる。しかし、適切な手入れをされたヒノキは1000年以上生きる。法隆寺が1300年建っているのがその証拠だ――。彼は一歩も引かず、飛鳥時代の工法を貫き通しました。その妥協なき姿勢から、彼は畏敬の念を込めて「法隆寺の鬼」と呼ばれました。

伝説の道具「槍鉋(やりがんな)」の復活

西岡の功績の一つに、失われた古代の道具「槍鉋(やりがんな)」の復元があります。 法隆寺の飛鳥時代の柱に残る、独特の柔らかな手触り。これは現代の台鉋(だいがんな)では再現できませんでした。西岡は、正倉院の宝物や絵巻物を研究し、刀匠と協力してこの道具を復元。さらに、体の使い方も自ら編み出し、薬師寺再建において見事に飛鳥の木の肌触りを現代に蘇らせました。

千年の時を繋ぐ「口伝(くでん)」

西岡家には、代々口伝えでのみ継承される「口伝」がありました。これは建築技術だけでなく、リーダーとしての心得や自然への畏敬の念を説いたものです。

堂塔の建立には木を買はず山を買へ。 (木は育った環境によって性質が違う。それを知って適材適所に使うこと)

木は生育の方位のままに使へ。 (南の日差しを浴びて育った木は南側に、北側の木は北側に使うと狂いが出ない)

塔組は木組、木組は木の癖組、木の癖組は人の心組。 (ねじれや反りといった「木の癖」を見抜いて組み合わせるのが木組。それと同じように、職人一人ひとりの「癖(個性)」を活かして組織を作るのが棟梁の役割である)

Information

西岡常一を深く知る「この一冊!」

法隆寺を1300年守ってき職人の技と知恵

本のご紹介

木のいのち木のこころ―天・地・人 (新潮文庫) / 西岡 常一 (著), 小川 三夫 (著), 塩野 米松 (著)

文庫 – 2005/7/28

西岡常一が語る「天の巻」、唯一の内弟子である小川三夫が語る「地の巻」、そして次世代の職人たちが語る「人の巻」。 技の話にとどまらず、教育論、組織論、そして人生哲学として、あらゆる世代の心に響く名著です。「木」を通して「人」をどう育てるかが語られています。

📍【保存版】西岡常一の足跡を辿る — ゆかりの地・史跡リスト

西岡常一が魂を込めて守り、再建した寺院と、その技術を伝える施設を網羅しました。彼が手がけた建造物そのものが、最大の記念碑です。

【奈良県生駒郡斑鳩町】 生誕と活動の原点

  • 法隆寺(昭和の大修理)(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1):西岡が青年期から壮年期にかけて心血を注いだ場所。金堂、五重塔など、世界最古の木造建築群の維持管理に尽力しました。「法隆寺の宮大工」としての彼の原点であり、彼の仕事の痕跡が随所に残っています。
  • 法隆寺iセンター(西岡常一紹介コーナー)(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺1-8-25):法隆寺参道入り口にある観光案内所。2階には、西岡常一に関するパネル展示や、彼が復元・愛用した「槍鉋(やりがんな)」などの大工道具が常設展示されており、その功績を学ぶことができます。
  • 法輪寺 三重塔(奈良県生駒郡斑鳩町三井1570):1975年(昭和50年)再建。学者との大論争の末、鉄骨を使わない伝統的な飛鳥様式での再建を実現させた塔です。斑鳩三塔の一つとして美しい姿を見せています。

【奈良県奈良市】 晩年の集大成

  • 薬師寺 金堂・西塔(奈良県奈良市西ノ京町457):西岡が晩年、癌と闘いながら棟梁として指揮を執った白鳳伽藍。特に西塔は、鉄骨を使わず木だけで建てるという彼の悲願が達成された塔です。木が縮む性質を計算に入れ、数百年後に東塔(国宝)と同じ高さになるよう、建築当時はわずかに高く作られています。

【大阪府藤井寺市】 古代技術への挑戦

  • 道明寺天満宮(復元「修羅」)(大阪府藤井寺市道明寺1-16-40):境内に、西岡常一が制作指導を行った復元「修羅(しゅら)」(巨石を運ぶための木製のソリ)が展示・保存されています。古墳時代出土の修羅を、当時の道具(斧やちょうな)と技術で復元するプロジェクトでした。

【兵庫県神戸市】 道具と技術の伝承

  • 竹中大工道具館(兵庫県神戸市中央区熊内町7-5-1):日本唯一の大工道具専門の博物館。西岡常一が愛用した道具や、薬師寺西塔の図面、技術ノートなどが収蔵・展示されており、彼の技術の粋を間近で見ることができます(※展示内容は時期により変更される場合があります)。

【広島県福山市】 国宝修理の足跡

  • 明王院 五重塔(広島県福山市草戸町1473):国宝に指定されている五重塔。昭和30年代(1962年頃)に行われた解体修理に、西岡常一が「修理技術者」として参加し、その技術を振るいました。中世の和様建築の傑作として知られています。

💬西岡常一の遺産:現代へのメッセージ

西岡常一の言葉は、効率やスピードを優先する現代社会への警鐘でもあります。

「功利的なことを考えずに、時間をかけてもええから、本当の仕事をやってもらいたい。ごまかしやなしに、ほんまの仕事をやってもらいたい。」

自然を征服するのではなく、自然の声を聞き、その一部として生きる。 1300年先を見据えて木を組み、人を育てた彼の生き様は、私たちに「本物とは何か」を静かに、しかし力強く語りかけています。

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