山梨県の偉人:雨宮敬次郎 — 「投機界の魔王」にして「鉄道王」、軽井沢の父と呼ばれた甲州財閥の巨頭
プロフィール
雨宮 敬次郎(あめのみや けいじろう、あめみや けいじろう)
1846(弘化3)年10月24日生│1911(明治44)年1月20日没
「天下の雨敬」「投機界の魔王」「明治の鉄道王」「甲州財閥」「事業の雨宮敬次郎」
「政治の伊藤(博文)、金の安田(善次郎)、事業の雨宮(敬次郎)」
明治時代、そう並び称されたほどの実業家がいました。山梨県塩山(現在の甲州市)に生まれた雨宮敬次郎(あめみや けいじろう)です。
彼は、若くして行商や相場の世界で頭角を現し、「投機界の魔王」「天下の雨敬」と恐れられる一方で、鉄道、製粉、電力、製鉄など日本の近代化に不可欠なインフラ事業を次々と興した「鉄道王」でもあります。また、荒野だった軽井沢に私財を投じて植林を行い、現在の美しい別荘地・軽井沢の基礎を築いた「軽井沢の父」としての顔も持ちます。
失敗しても決してくじけず、全財産を賭けて事業に挑んだ不屈の男・雨宮敬次郎の生涯と、全国に残る足跡を追います。
甲州の行商から、横浜の相場師へ
雨宮敬次郎は、1846年(弘化3年)、甲斐国山梨郡牛奥村(現在の山梨県甲州市塩山牛奥)の名主の家に生まれました。幼少期から商才を発揮し、14歳で父から貰った1両を元手に行商を始めます。
明治維新後、開港したばかりの横浜へ飛び出した敬次郎は、生糸、洋銀(銀貨)、蚕種(カイコの卵)などの相場に身を投じます。 巨万の富を得たかと思えば、暴落で無一文になり自殺を考えるほどの挫折も味わう。そんな浮き沈みの激しい「投機」の世界で、彼は「天下の雨敬」としての度胸と勝負勘を磨いていきました。
📌 欧米視察と「実業」への転換
転機となったのは、明治9年(1876年)からの欧米視察でした。アメリカやヨーロッパの発展を目の当たりにした彼は、「投機(ギャンブル)」ではなく、国家の基盤となる「実業」の重要性に目覚めます。
「国を富ませるには、交通(鉄道)、工業(製鉄・製粉)、水利(水道・電気)が必要だ」。
帰国後、彼は相場師から実業家へと華麗なる転身を遂げます。
「鉄道王」としての躍進と、多角的な事業展開
敬次郎が手がけた事業は驚くほど多岐にわたります。
🚂 鉄道王・雨宮敬次郎
彼は、現在の中央本線の一部である甲武鉄道(新宿〜八王子)の経営に参画し、沿線の発展に貢献しました。その他にも、北海道炭礦鉄道、川越鉄道(現・西武線)、江ノ島電気鉄道(江ノ電)、京浜電気鉄道(現・京急)など、全国各地の鉄道会社の設立や再建に関わりました。 また、地方交通の主役として「軽便鉄道」の普及にも力を入れ、大日本軌道を設立して全国に鉄路を敷きました。
🏭 産業の近代化
- 日本製粉: 日本初の機械式製粉会社「泰靖社」を設立。これが現在のニップン(日本製粉)へと発展しました。
- 製鉄・電力: 日本鋳鉄会社の設立や、桂川電力などエネルギー事業にも参入しました。
軽井沢の緑を育てた男
実業家としての顔の裏で、敬次郎が情熱を注いだのが軽井沢の開発でした。 当時の軽井沢は、寒冷で農作物が育たない不毛の原野でした。敬次郎はこの地に私財を投じて開墾を試みますが、ブドウ栽培などは失敗に終わります。
しかし、彼は諦めませんでした。「自分の利益のためではない、国家の百年先のために木を植えるのだ」。 彼はカラマツ(落葉松)の植林を開始。数百万本という植林事業は、長い年月をかけて軽井沢を緑豊かな避暑地へと変貌させました。今の軽井沢の美しい景観は、雨宮敬次郎の執念の賜物なのです。
豪胆なる逸話:夏目漱石と天下の糸平
敬次郎の人物像を伝える興味深いエピソードが残っています。
📌 夏目漱石が感服した「神色自若」
文豪・夏目漱石は日記の中で、敬次郎について触れています。 ある時、敬次郎が花札賭博に興じていた際、負けが込んでも顔色一つ変えず、平然としていたといいます。漱石はその様子を「神色自若(しんしょくじじゃく)」(大事に直面しても顔色を変えず落ち着いているさま)と評し、さすがは「紳商(紳士的な商人)」であると感服しました。彼の肝の据わった性格がうかがえます。
📌 親友「天下の糸平」への弔い
同時代の相場師で、「天下の糸平」と呼ばれた田中平八とは無二の親友でした。 糸平が亡くなり、記念碑を建てる際、碑文をどうするかで議論になりました。長々と功績を書き連ねようとする周囲に対し、敬次郎は一喝しました。 「ごたごた長い文章はいらない。『天下の糸平』だけでいい」。 その言葉通り、隅田川畔(木母寺)に建つ碑には、シンプルかつ力強くその名が刻まれています。本質を突く敬次郎らしいエピソードです。
雨宮敬次郎を深く知る「この一冊!」
日本の国造りに血を吐きながら命がけで取り組んだ男

鉄道王雨宮敬次郎ど根性一代 / 小林 和生 (著)
単行本 – 2006/3/7

「世の為、人の為、国の為」を貫き、何度もどん底から這い上がった雨宮敬次郎の生涯を描くドキュメンタリー。相場師としてのスリルあふれる前半生から、国家プロジェクトに挑む後半生まで、その「ど根性」の源泉に迫る一冊です。
📍【完全網羅版】雨宮敬次郎ゆかりの地・史跡リスト
雨宮敬次郎の足跡は、出身地の山梨、活動拠点の東京・横浜、そして開発に尽力した軽井沢や熱海など、広範囲に及びます。
【山梨県】 生誕と故郷への貢献
- 雨宮敬次郎生家跡(雨敬園)(山梨県甲州市塩山牛奥3821):敬次郎の生家跡地。現在は「雨敬園」という観光農園になっており、当時の面影を偲ぶことができます。
- 雨敬橋と顕彰碑(山梨県甲州市塩山牛奥・重川沿い):故郷の重川に敬次郎が私財を投じて架けた橋。たもとにその功績を称える顕彰碑が建っています。
- 向嶽寺(こうがくじ)(山梨県甲州市塩山上於曽2026):塩山にある臨済宗の名刹。雨宮家ゆかりの寺院として知られ、敬次郎も寄進を行っています。
- 中央本線のカーブ(山梨県甲州市塩山):中央線が塩山駅付近で北へ大きく湾曲しているのは、敬次郎が故郷・牛奥の近くに鉄道を通すために尽力した結果だという伝説が残っています。
【長野県軽井沢】 緑の父の足跡
- 市村記念館(軽井沢町歴史民俗資料館分室)(長野県北佐久郡軽井沢町長倉2112-21):雨宮敬次郎の妻の甥にあたる市村今朝蔵の記念館ですが、敬次郎に関する資料も多数展示されており、彼と軽井沢の関わりを学ぶことができます。
- 旧雨宮邸新座敷(通称:雨宮御殿)(長野県北佐久郡軽井沢町長倉):軽井沢中学校の隣接地に、敬次郎の別邸の一部が移築・保存されています。
- 雨宮新田(あめみやしんでん)(長野県北佐久郡軽井沢町長倉):南軽井沢交差点付近の地名。敬次郎が開拓移民を受け入れ、開発したエリアです。
- 雨宮カラマツの並木(長野県北佐久郡軽井沢町千ヶ滝西区など):彼が植林したカラマツ林の一部は、樹齢100年を超え、軽井沢の原風景として残っています。
- 雨宮家始祖之墓(長野県北佐久郡軽井沢町長倉):雨宮敬次郎の墓所。旧雨宮邸(雨宮御殿)の裏手にある小山(通称:雨宮山)に、妻と共に眠っています。「せめてこの地に墓を残したい」という彼の遺志が守られています。
【東京都】 実業の中心地
- 雨宮敬次郎邸跡(現・プルデンシャルタワー)(東京都千代田区永田町2丁目13-10):かつて敬次郎の広大な自邸があった場所。戦後はホテルニュージャパンとなり、現在はプルデンシャルタワーが建っています。
- 日本製粉(ニップン)発祥の地(東京都江東区扇橋1丁目):敬次郎が設立した「泰靖社(のちの日本製粉)」の蒸気製粉工場があった場所(当時の地名は南葛飾郡八郎右衛門新田)。
- 木母寺(もくぼじ)(東京都墨田区堤通2丁目16-1):親友・田中平八の「天下の糸平」の碑があり、敬次郎がその碑文(題字)に関わっています。
- 築地本願寺和田堀廟所(東京都杉並区永福1丁目8-1):雨宮敬次郎の墓所があります。
- 甲武鉄道(現・JR中央線)飯田橋駅付近(東京都千代田区飯田橋):敬次郎が経営した甲武鉄道の始発駅「牛込駅」があった場所です。
【静岡県熱海】 終焉の地
- 雨敬翁終焉地碑(静岡県熱海市梅園町8-11):熱海梅園の中にあります。晩年を過ごした別荘(桜ヶ丘別荘)の近くに建てられました。
- 熱海鉄道(豆相人車鉄道)記念碑(静岡県熱海市田原本町11-1):熱海駅前に、敬次郎が敷設した「人が押して動かす鉄道」の記念碑と復元車両が展示されています。
【神奈川県】 鉄道事業の足跡
- 京浜急行電鉄(旧・大師電気鉄道)発祥の地碑(神奈川県川崎市川崎区大師駅前1丁目18):川崎大師駅前にあります。敬次郎は発起人の一人でした。
- 江ノ島電鉄(江ノ電)(神奈川県鎌倉市・藤沢市):敬次郎が社長を務め、経営再建に尽力した路線です。
【岩手県】 鉱山開発
- 和賀仙人鉄山跡(岩手県北上市和賀町仙人):敬次郎が開発を手掛けた鉄山。この鉱山開発が、周辺の鉄道敷設(現在のJR北上線)のきっかけの一つとなりました。
【広島県】 鉄道事業
- JR可部線(旧・広浜鉄道)(広島県広島市):敬次郎が設立した「大日本軌道」の広島支社線がルーツとなっており、可部線の「生みの親」とも言われます。
💬雨宮敬次郎の遺産:現代社会へのメッセージ
雨宮敬次郎の生涯は、私たちに「私利私欲を超えた投資の哲学」を教えてくれます。
彼は相場で莫大な富を築きましたが、それを単なる蓄財には回しませんでした。「事業そのものに身を投じ、国のインフラを作る」ことに全財産を賭けました。軽井沢への植林事業において、彼が語った言葉は象徴的です。
「私は木を植えるという、金の貯蓄ではなく木の貯蓄をやっている。生前の貯蓄ではなく死後のために貯蓄をやっているのだ」
短期的な利益だけでなく、100年先の未来を見据えて種を蒔く。その高潔な精神こそが、今の日本を形作った原動力であり、現代の私たちが見習うべき「投資家の美学」なのです。
©【歴史キング】
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