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茨城県の偉人:藤田東湖 — 幕末の志士たちを熱狂させた「水戸学」のカリスマ

プロフィール

藤田 東湖(ふじた とうこ) │ 諱:彪(たけき)
1806(文化3)年5月4日生│1855(安政2)年11月11日没(48歳)
「水戸学」「水戸の両田」「水戸の三田」「尊王攘夷思想」「安政の大地震」

  • 出身地:常陸国水戸城下(現在の茨城県水戸市梅香町)
  • 肩書き:水戸藩士、学者(水戸学)、側用人、海岸防禦御用掛
  • 異名:水戸の両田(もう一人は戸田忠太夫)、水戸の三田(+武田耕雲斎)
  • 主君:徳川斉昭(第9代水戸藩主)
  • 代表的著作:『弘道館記述義』『回天詩史』『常陸帯』『正気の歌』
  • 影響を与えた人物:西郷隆盛、吉田松陰、橋本左内、横井小楠 ほか多数
  • 最期の言葉(伝承):「お母さん、危ない、私が代わりに行こう」(母を助けに戻った際の言葉)

「先輩として最も尊敬する人物」

 あの西郷隆盛をして、そう言わしめた男がいます。 藤田東湖(ふじた とうこ)

幕末の水戸藩において、強烈なリーダーシップと理論で尊皇攘夷思想を全国に広め、明治維新の精神的支柱となった「水戸学」の大成者です。ペリー来航に揺れる日本において、彼の発する言葉や著作は、吉田松陰、坂本龍馬、橋本左内といった名だたる志士たちのバイブルとなりました。 中でも、彼が幽閉中に詠んだ『正気の歌(せいきのうた)』は、多くの若者の血をたぎらせ、維新回天の原動力となりました。志半ば、安政の大地震で母を守り壮絶な死を遂げた水戸の巨星。その熱き生涯と、魂の叫びに迫ります。

「水戸学」の申し子として

1806年(文化3年)、水戸城下(現在の水戸市梅香町)に生まれました。父は「水戸学」の基礎を築いた大学者・藤田幽谷(ゆうこく)。幼い頃から父の薫陶を受け、文武両道に優れた英才として育ちました。 19歳の時には、イギリスの捕鯨船が大津浜(北茨城市)に上陸した事件に衝撃を受け、現場へ急行。「攘夷(外国の侵略から国を守る)」の必要性を肌で感じ、国事に奔走する覚悟を決めます。

徳川斉昭の「懐刀」として

東湖の才能を見抜き、重用したのが第9代水戸藩主・徳川斉昭(烈公)でした。 東湖は斉昭の側近として藩政改革(天保の改革)を推進。戸田忠太夫とともに「水戸の両田」と称され、藩校「弘道館」の設立や軍備の近代化に尽力します。 彼が起草に関わった『弘道館記』や、その解説書『弘道館記述義』は、尊王攘夷の理論的支柱として、全国の志士たちに読み漁られました。

魂を揺さぶる絶唱 『正気の歌』

改革の行き過ぎを幕府に咎められ、東湖は弘化2年(1845年)から約3年間、幽閉生活を送ります。この絶望的な状況下で、自身の信念を鼓舞するために詠んだのが、漢詩『正気の歌(せいきのうた)』(文天祥正気の歌に和す)です。

この詩は、幕末の志士たちにとっての「聖書」であり「革命歌」となりました。

【わかりやすい『正気の歌』解説】

1. 「正気(せいき)」とは何か? 

冒頭の「天地正大の気(てんちせいだいのき)」という言葉に象徴される、「この国(日本)を天地の初めから守り続けてきた、正しく大きく強いエネルギー」のことです。

2. 日本の美しさは「正気」の現れである 

東湖は歌います。 「この『正気』が形をなすと、美しい富士山となり、万古に白雪をいただく。また、美しいとなって、春の空に咲き誇るのだ」 (※この詩によって、富士山と桜は日本精神の象徴として定着しました)

3. 英雄たちに宿る「正気」 

歴史上の英雄たちも、この「正気」を体現した存在だと説きます。赤穂浪士の忠義も、楠木正成の奮戦も、すべてはこの魂の現れである、と。

4. 自身の覚悟 

そして最後に、こう結びます。 「今、私は囚われの身だが、この『正気』は私の体の中に満ち溢れている。いかなる苦難があろうとも、私の魂を挫くことはできない。生きては主君の冤罪を晴らし、死しては護国の鬼となって国を守り抜くのだ」

この悲壮かつ力強い決意は、吉田松陰や西郷隆盛をはじめとする若者たちを熱狂させ、彼らを維新という巨大な渦へと突き動かしていったのです。

悲劇の最期と「孝」の精神

ペリー来航による情勢の変化で復権を果たし、幕府の海防参与となった斉昭を補佐するため、東湖も江戸で活動を開始します。

1855年(安政2年)10月2日、安政の大地震が江戸を襲います。 小石川の水戸藩邸にいた東湖は、一度は庭へ脱出しました。しかし、火鉢の火を心配した老母が屋内に引き返したため、慌てて後を追います。 崩れ落ちてくる鴨居(梁)を自らの肩で受け止め、「早く!早く!」と母を庭へ逃がしました。母の無事を確認した直後、力尽きた彼は建物の下敷きとなり、圧死しました。享年50。 国を想う「忠」と、親を想う「孝」を貫いた壮絶な最期でした。

Information

藤田東湖を深く知る「この一冊!」

海外の歴史学者が、明治維新を「水戸」の視点から読み解く

本のご紹介

水戸維新 近代日本はかくして創られた / マイケル・ソントン (著)

単行本 – 2021/1/28

ハーバードで学びイェール大学で教鞭を執る気鋭の歴史学者が、明治維新を「薩長」ではなく「水戸」の視点から読み解いた一冊。藤田東湖を含む水戸藩のキーパーソン6人を取り上げ、彼らの思想がいかにして近代日本を形成したか、そしてなぜ水戸藩自体は維新の主役になれなかったのかを鮮やかに描き出します。

📍【完全網羅版】藤田東湖の足跡を辿る — ゆかりの地・史跡リスト

藤田東湖の足跡は、生まれ育った水戸と、活躍し最期を迎えた東京、そして彼を慕う志士たちが集った京都にも残されています。

【茨城県水戸市・大洗町】 学問と改革の地

  • 藤田東湖生誕の地(水戸市梅香1-2-20):藤田家の屋敷があった場所。現在は「藤田東湖生誕の地」の碑と銅像、そして産湯を使ったとされる井戸跡が整備されています。
  • 東湖神社(水戸市梅香1-1):生誕地のすぐ隣に鎮座し、藤田東湖を祭神として祀っています。学問の神様としても信仰され、境内には遺徳を偲ぶ碑があります。
  • 弘道館(水戸市三の丸1-6-29):東湖が建設に尽力した日本最大規模の藩校。彼が解説した『弘道館記述義』の精神がここに宿っています。国の特別史跡。
  • 常磐共有墓地(藤田東湖の墓)(水戸市松本町13-34):徳川光圀が創設した水戸藩士の墓地。東湖はここに眠っており、墓石の文字は主君・徳川斉昭の筆によるものです。
  • 常磐神社(ときわじんじゃ)(水戸市常磐町1-3-1):偕楽園に隣接し、徳川光圀と斉昭を祀る神社。本殿の相殿(あいどの)には、功労者として藤田東湖も祀られています。
  • 徳川ミュージアム(彰考館)(水戸市見川1-1215-1):水戸徳川家の資料を展示。『大日本史』編纂の拠点であり、東湖が総裁代役を務めた「彰考館」に関わる資料も見ることができます。
  • 幕末と明治の博物館(東茨城郡大洗町磯浜町8231):東湖をはじめとする水戸の志士たちの遺墨や資料が多数展示されており、激動の幕末史を体感できます。

【東京都】 活躍と終焉の地

  • 藤田東湖護母致命の処(案内板)(文京区後楽1-3-40):小石川後楽園の東側外壁沿い(白山通り沿い、「小石川後楽園展示室」付近の歩道)に、彼が母を守って圧死した場所を示す案内板が設置されています。(※ここは無料で見学可能です)
  • 藤田東湖の記念碑(小石川後楽園内)(文京区後楽1-6-6):上記の「致命の処」にあった石碑は、道路拡張に伴い、現在は小石川後楽園の園内(※入園料が必要)に移設されています。

【京都府京都市】 志士たちの崇敬の地

  • 霊明神社(れいめいじんじゃ)(京都市東山区清閑寺霊山町25):坂本龍馬や中岡慎太郎の墓所がある京都霊山護国神社のすぐ近くにある神社。ここには、幕末の志士たちが東湖を慕って奉納したとされる、藤田東湖の書(扁額)が所蔵されています。東湖の影響力が遠く京都の地にも及んでいたことを示す貴重な史跡です。

💬藤田東湖の遺産:現代社会へのメッセージ

藤田東湖が生涯をかけて訴えたのは、「大義のために、己を賭して行動せよ」というメッセージでした。

彼の思想「尊皇攘夷」は、単なる排外主義ではありませんでした。「日本という国をどう守り、どうあるべきか」を突き詰めた、独立自尊の精神です。 『正気の歌』に込められた、逆境にあっても決して折れない心。そして、死の瞬間まで貫いた「他者(母)への献身」。 これらは、私利私欲に走りがちな現代において、真の強さとは何かを問いかけています。

もし彼が生きていれば、水戸藩の分裂(天狗党の乱など)は防げたかもしれません。しかし、彼が蒔いた種は、西郷や松陰といった次世代の英雄たちの中で芽吹き、明治維新という大輪の花を咲かせたのです。

©【歴史キング】

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