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福島県の偉人:星一 — 「東洋の製薬王」と呼ばれた男、野口英世の盟友であり星新一の父

プロフィール

星 一(ほし はじめ)
1873(明治6)年12月25日 生│1951(昭和26)年1月19日没(77歳)
「東洋の製薬王」「星新一の父」

「親切第一」

このシンプルな言葉を生涯のモットーとし、日本の製薬産業に革命を起こした男がいます。福島県磐城郡(現在のいわき市)に生まれた星一(ほし はじめ)です。

彼は、アメリカで苦学の末に成功を掴み、帰国後はモルヒネの国産化に成功。「製薬王」と呼ばれるほどの巨大企業・星製薬を築き上げました。また、同郷の英雄・野口英世を物心両面で支えたパトロンであり、SF作家・星新一の父としても知られています。その波乱万丈な生涯は、まさに「事実は小説よりも奇なり」を地で行くものでした。

福島の寒村から、自由の国アメリカへ

星一は、1873年(明治6年)12月25日、福島県磐城郡(現在のいわき市)で生まれました。幼少期、遊び仲間の放った矢が右目に刺さり失明するという不運に見舞われましたが、その不屈の精神は決して折れることはありませんでした。

サミュエル・スマイルズの『自助論(西国立志編)』に感銘を受けた彼は、自らの力で運命を切り拓くことを決意します。東京商業学校を卒業後、20歳で単身アメリカへ渡りました。

📌 苦学と野口英世との出会い

アメリカでの生活は過酷そのものでした。皿洗いや行商などあらゆる仕事をこなしながら、コロンビア大学で統計学や経済学を学びました。この時期、彼は生涯の友となる人物と出会います。同じ福島県出身の野口英世です。

貧しいながらも医学の研究に情熱を燃やす野口を、星は親身になって支えました。野口が一時帰国する際の費用を全額負担したのも星でした。二人の絆は、星が成功した後も変わることはなく、互いに夢を語り合う盟友であり続けました。

「東洋の製薬王」への道:モルヒネの国産化

13年間のアメリカ生活を経て帰国した星は、1906年(明治39年)、湿布薬「イヒチオール」の事業化に成功し、莫大な利益を得ます。これを元手に1911年(明治44年)、星製薬株式会社を設立しました。

📌 国産化への執念とチェーンストア方式

当時の日本は、外科手術に不可欠な麻酔薬であるモルヒネを輸入に頼っていました。星は、国益と国民の健康のために、この国産化を決意します。台湾などで原料となるケシの栽培から手がけ、ついに純国産モルヒネの製造に成功。さらに、マラリアの特効薬であるキニーネの製造も手がけ、「東洋一の製薬会社」と呼ばれるまでに成長しました。

また、経営面でもアメリカ仕込みの手腕を発揮しました。特約店制度(チェーンストア方式)を日本で初めて導入し、爆発的な販売網を構築したのです。五反田に建設された巨大な本社工場は、当時の日本の近代化の象徴でもありました。

教育への情熱と政治家としての顔

事業の成功で得た富を、星は惜しみなく社会に還元しました。

  • 星薬科大学の創設: 「くすりで奉仕する」人材を育てるため、1921年(大正10年)に星製薬商業学校(現・星薬科大学)を設立しました。
  • ドイツへの恩返し: 第一次世界大戦後、疲弊したドイツの科学界を救うため、私財を投じて巨額の寄付を行いました。これは、明治以降日本がドイツから多くの知識を得たことへの恩返しでした。

また、政治家としても活動し、衆議院議員に3回当選、戦後には第1回参議院議員選挙で全国区トップ当選を果たしました。しかし、その政治活動ゆえに政争に巻き込まれ、アヘン事件などで不当な弾圧を受ける苦難も経験しました。

晩年と息子・星新一へ繋がるバトン

1951年(昭和26年)、星一はロサンゼルス滞在中に客死しました。享年78歳。

彼の死後、星製薬を継いだのは長男の親一でした。しかし、会社はすでに傾いており、親一は再建に奔走したものの、最終的に会社を手放すことになります。この壮絶な経験を経て、親一は筆を執り、SF作家・星新一として新たな道を歩み始めました。

父・一の「空想を実行する」というベンチャー精神は、形を変えて息子・新一の「ショートショート」という想像力の世界に受け継がれたのかもしれません。

Information

星一を深く知る「この一冊!」

新潮文庫

本のご紹介

明治・父・アメリカ / 星 新一 (著)

文庫 – 1978/8/27

SF作家・星新一が、父・星一の若き日の冒険と苦闘を描いた評伝です。福島の田舎からアメリカへ渡り、異文化の中で揉まれながら成長していく姿が、息子の温かくも客観的な視点で綴られています。成功者の伝記としてだけでなく、一人の青年の青春物語としても感動的な一冊です。

📍星一ゆかりの地:情熱の足跡を辿る旅

  • 星一胸像・顕彰記念碑(勿来市民会館・福島県いわき市錦町上川田21):故郷であるいわき市の勿来市民会館敷地内に、ドイツ政府からの感謝を込めて贈られた記念碑と胸像が建っています。
  • 星一像・星薬科大学本館前(東京都品川区荏原2-4-41):星一が創設した大学。本館(旧星製薬本社)はアントニン・レーモンド設計の美しい建築で、星一の胸像や資料が展示されています。
  • 野口英世記念館(福島県耶麻郡猪苗代町大字三ッ和字前田81):親友・野口英世の生涯を紹介する記念館。星一との交流を示す資料も見ることができます。
  • 星一・新一墓所(青山霊園・1イ 9号 4側・東京都港区南青山2-32-2)

💬星一の遺産:現代社会へのメッセージ

星一の生涯は、私たちに「親切第一」という言葉の重みを教えてくれます。

彼はビジネスにおいても、「相手のためになること」を徹底的に追求しました。モルヒネの国産化も、ドイツへの支援も、すべては「誰かの役に立ちたい」という純粋な思いから出発していました。

「世の中の個人と個人、家族と家族、国家と国家とが完全に融和することになる。(中略)親切第一に心掛け、そして之を実行すること…」

分断や対立が深まる現代において、国境を越えて友情を育み、私利私欲を超えて社会に奉仕した星一の生き方は、真のグローバルリーダーシップとは何かを問いかけています。彼の情熱の灯は、今も星薬科大学の学び舎や、息子・星新一の物語の中に、静かに、しかし力強く燃え続けています。

©【歴史キング】

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