×

北海道の偉人/高知県の偉人:川田龍吉 — 「男爵いも」を生んだ、北の大地を愛した旅の巨人

郷土博士

北海道│高知県

「生まれは南、最後は北」

この言葉は、土佐国(現在の高知県)に生まれ、生涯を北海道農業の近代化に捧げた実業家、川田龍吉(かわた りょうきち)の人生哲学を表しています。

彼は、土佐藩士の家に生まれながらも、スコットランドでの留学経験から「偉大な工業国は偉大な農業国である」という信念を抱き、北海道の地でその理想を実現しようとしました。彼が海外から持ち込んだじゃがいもの一つの品種は、彼の爵位にちなんで「男爵いも」と名付けられ、やがて日本の食卓を支える国民的な作物へと成長しました。彼の生涯は、近代日本の産業の発展と、故郷への深い愛、そして北の大地への情熱に彩られています。


幼少期の学びと英国留学:産業と農業の理念を育む

川田龍吉は1856年(安政3年)、土佐藩士で後の日本銀行総裁となる川田小一郎の長男として、土佐郡杓田村(現在の高知市)に生まれました。川田家は郷士(ごうし)という、半農半武の家柄であったため、龍吉は幼い頃から農作業に親しみ、土に触れる生活を送りました。

龍吉が15歳の時、父が岩崎弥太郎の興した三菱商会に参画したのを機に、一家は大阪へ転居。英語学校で学び、その後、英米系医学を教える慶應義塾医学所に入塾しますが、医学の道は彼の性に合わず、一年足らずで自主退学します。父の強い意向を受け、21歳で英国スコットランドへと留学します。

7年間にわたる留学中、龍吉は造船業で有名なグラスゴー大学で機械工学を学び、レンフリューの造船所で実地修行を積みました。造船業が盛んな地で、最新の舶用機関術を身につける傍ら、スコットランドの豊かな農村をしばしば訪れ、「偉大な工業国は偉大な農業国である」という、彼独自の信念を育むことになります。これは、当時の産業革命の中心地であった英国の発展が、強固な農業基盤に支えられていることを肌で感じたからに他なりません。

悲恋と「男爵いも」の誕生

留学中の龍吉は、現地の書店員であったジェニー・イーディーという女性と出会い、熱烈な恋に落ちます。二人は結婚の約束を交わしますが、父に結婚の承諾を得るために帰国した龍吉を待っていたのは、国際結婚に反対する父の猛反対でした。結局、ジェニーとの結婚は叶わず、龍吉は二度と英国に戻ることはありませんでした。しかし、彼はジェニーとの思い出を胸に秘め、その金髪一束と90通に及ぶラブレターを、生涯大切に金庫にしまっていたと言われています。

帰国後、龍吉は三菱製鉄所、日本郵船、そして1893年(明治26年)には横浜船渠会社(後の三菱重工業横浜造船所)の取締役に就任し、社長も務めるなど、日本の造船工業界の先駆者として活躍しました。この間、彼は日本初の民間による石造りドックを建設し、後の豪華客船「氷川丸」や「秩父丸」の建造に繋がる礎を築いています。また、1901年(明治34年)にはアメリカ製の蒸気自動車「ロコモビル」を購入し、日本最初のオーナードライバーとなったことでも知られています。

1906年(明治39年)、日露戦争後の不況に苦しむ函館ドック会社を再建するため、財界の巨頭である渋沢栄一に請われて、専務取締役として北海道へ渡ります。函館の風景が留学時代のスコットランドに似ていたことから、龍吉はジェニーとの思い出を蘇らせ、彼女と一緒に食べたじゃがいもをこの地で育てたいと思い立ちます。

彼は、アメリカの種苗会社から「アイリッシュ・コブラー」という品種のじゃがいもを輸入し、七飯村(現在の七飯町)の農場で試作栽培を開始します。この品種は、早熟で病害虫に強く、味も良いことから、近隣の農家で評判となり、やがて「男爵様が育てたいも」にちなんで「男爵いも」と名付けられました。

生涯を捧げた北海道農業の近代化

函館ドックの再建に成功した龍吉は、1911年(明治44年)、余生を北海道農業の近代化に捧げることを決意し、職を辞しました。渡島当別(現在の北斗市)に広大な山林農地を払い下げてもらい、「川田農場」を開設。最新式の農機具を多数輸入し、機械化による大規模農業を試みるなど、日本の農業近代化の砦となりました。

彼は「工業と農業が共に栄えなくては国の発展がありえない」という信念のもと、酪農、畑作、林業、海運など多角的な事業を展開しました。

1928年(昭和3年)には、男爵いもが道庁の優良奨励品種に指定され、その後、戦後の食糧難を救い、平成初頭まで国内シェアナンバーワンとなる国民的作物へと成長しました。

92歳でカトリックの洗礼を受け、洗礼名「ヨゼフ」を得た龍吉は、晩年、じゃがいもの白い花が咲く季節になると、村人たちが担ぐ駕籠に乗り、畑を眺めて喜んでいたといいます。1951年(昭和26年)、渡島当別の自宅で95年の生涯を閉じました。

川田龍吉が登場する作品

川田龍吉の生涯は、その波乱に満ちた人生と、男爵いもに隠された悲恋の物語から、多くの作品で描かれています。

  • 漫画:
    • 『シュマリ』(手塚治虫):北海道の開拓時代を描いた漫画で、主人公に人生の指針を示す男として登場します。
  • 書籍:
    • 『サムライに恋した英国娘―男爵いも、川田龍吉への恋文』(伊丹政太郎、アンドリュー・コビング):金庫から発見されたラブレターを基に、龍吉とジェニーの悲恋を描いた書籍です。
  • テレビ番組:
    • NHK特集『いも男爵と蒸気自動車と』(1979年):龍吉の生涯を追ったドキュメンタリードラマで、愛川欽也が龍吉役を演じました。
  • その他:
    • JR北海道函館本線「男爵いも」ラッピング列車:男爵いもをアピールするため、ラッピング列車が運行されています。

川田龍吉ゆかりの地:北の大地の足跡を辿る旅

川田龍吉の足跡は、彼の故郷である高知から、造船業で活躍した横浜、そして生涯を捧げた北海道へと繋がっています。

  • THE DANSHAKU LOUNGE(北海道亀田郡七飯町):男爵いも発祥の地にある複合施設で、龍吉の愛車である蒸気自動車や使用していた農機具などが展示されています。
  • 男爵いもを讃う碑(北海道函館市五稜郭公園裏門):龍吉の功績を称える石碑が建っています。
  • 男爵資料館(北海道北斗市):龍吉が近代農業を試みた渡島当別の農場跡地に建てられた資料館です。
  • 横浜ランドマークタワー・ドックヤードガーデン(神奈川県横浜市):龍吉が社長を務めた横浜船渠の石造りドック跡地であり、彼の功績を伝えています。
  • 川田龍吉生誕地(高知県高知市旭元町):龍吉が生まれた場所であり、彼の原点です。

川田龍吉の遺産:農業と情熱の物語

川田龍吉の生涯は、私たちに「情熱が困難を乗り越える力となる」ことを教えてくれます。彼は、英国での悲恋を乗り越え、その思い出をじゃがいも栽培という形で昇華させ、北の大地の開拓にすべてを捧げました。

彼の「男爵いも」は、単なるじゃがいもではありません。それは、一人の実業家が、故郷を離れ、異国の地で育んだ理想を、日本の風土に適応させ、多くの人々の暮らしを豊かにしようとした、情熱の結晶です。また、造船事業で成功を収めた後、まったくの畑違いである農業に人生を賭けた彼の姿は、私たちに「専門分野にとらわれず、新たな挑戦を続ける勇気」を与えてくれます。龍吉の物語は、一人の人間が、その情熱と行動力によって、故郷の、そして日本の未来を創ることができることを証明しているのです。

(C)【歴史キング】

Information

関連する書籍のご紹介

PAGE TOP