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三重県の偉人:御木本幸吉 — 「真珠王」世界中の女性の首を真珠で飾った男

プロフィール

御木本 幸吉(みきもと こうきち)│幼名:吉松
1858(安政5)年3月10日生│1954(昭和29)年9月21日没(96歳)
「真珠王」「三重の三偉人」「ミキモト・パール」

  • 出身地:志摩国答志郡鳥羽城下の大里町(現在の三重県鳥羽市鳥羽2丁目)
  • 肩書き・役職:御木本真珠店(現・ミキモト)創業者、貴族院議員
  • 異名・愛称:真珠王(Pearl King)、三重の三偉人のひとり
  • 師弟・家族:【恩人・指導者】柳楢悦(大日本水産会)、箕作佳吉(東大教授)、トーマス・エジソン
  • 主な受賞・栄誉:十大発明家(特許庁顕彰)、緑綬褒章(1905年)、中日文化賞(1949年)、勲一等瑞宝章(没時追贈)
  • 代表的な実績:世界初の半円真珠・真円真珠の養殖成功、ミキモト・パールの世界的ブランド化、伊勢志摩国立公園の指定尽力
  • 座右の銘・口癖:「世界中の女性の首を真珠でしめて(飾って)ご覧に入れます」

「私の研究所でできなかったものが2つある。それはダイヤモンドと真珠です。あなたが動物学上からは不可能とされていた真珠の養殖を完成させたことは、世界の驚異です」

1927年、アメリカ。世紀の発明王トーマス・エジソンは、目の前にいる小柄な日本人男性に最大級の賛辞を贈りました。するとその男は、即座にこう切り返したといいます。 「あなたが発明界の月(巨星)なら、私は数ある星の一つに過ぎません」

この男こそ、世界で初めて真珠の養殖に成功し、「真珠王(Pearl King)」として世界中にその名を轟かせた御木本幸吉(みきもと こうきち)です。 かつては王侯貴族しか手にできなかった奇跡の宝石・真珠を、自らの手で創り出し、「世界中の女性の首を真珠で美しく飾る」という夢を実現した不屈の実業家の生涯に迫ります。

うどん屋から始まった「商売の道」

1858年(安政5年)、志摩国鳥羽(現在の三重県鳥羽市鳥羽2丁目)のうどん屋「阿波幸」の長男として生まれました。 幼名は吉松。家は貧しく、幸吉は「1杯8厘のうどんでは身代を築けない」と、14歳から青物の行商を始めます。足の裏で蛇の目傘を回す芸でイギリス軍艦の乗組員の気を引き、卵や野菜を売り込むなど、類まれな商才とバイタリティーを発揮しました。

その後、海産物商人へと転身した彼は、志摩の特産品である「アワビ」や「天然真珠」が世界で高く売れることに目をつけます。しかし、高値で取引されるがゆえに真珠の母貝である「アコヤ貝」が乱獲され、絶滅の危機に瀕している現実に直面しました。 「このままでは志摩の海から真珠が消えてしまう」。 幸吉は、アコヤ貝の養殖、そして誰も成功したことのない「真珠の養殖」という前人未到の領域へ足を踏み出す決意を固めます。

赤潮による全滅と、奇跡の「半円真珠」

学者たちから理論を学び、1890年(明治23年)に英虞湾(あごわん)の神明浦と、鳥羽湾の相島(おじま・現在のミキモト真珠島)で養殖実験を開始しました。 しかし、現実は過酷でした。貝が異物を吐き出したり、死んでしまったりと失敗の連続。さらに1892年(明治25年)には赤潮が大発生し、手塩にかけて育てたアコヤ貝が全滅するという絶望的な被害を受けます。

それでも諦めず、生き残った貝を調べ続けていた1893年(明治26年)7月11日、相島の海で、ついに貝の中に光り輝く「半円真珠を発見します。世界で初めて、人の手によって真珠が生み出された瞬間でした。

パリ真珠裁判と「真円真珠」の完成

半円真珠の成功から12年後の1905年(明治38年)、再びの赤潮被害を乗り越え、ついに天然真珠と見分けのつかない「真円真珠」の養殖に成功します。 同年、明治天皇に拝謁した際、幸吉は「世界中の女性の首を真珠でしめて(飾って)ご覧に入れます」と大見得を切りました。

しかし、1921年(大正10年)、ヨーロッパの宝石市場に進出すると「日本の養殖真珠は偽物(詐欺)だ」という激しいバッシングを受け、パリで裁判沙汰となります(パリ真珠裁判)。 幸吉は世界中の権威ある学者を証人として立て、科学的に天然真珠と全く同じ成分・構造であることを証明。1924年(大正13年)に全面勝訴し、MIKIMOTO(ミキモト)の真珠は名実ともに世界に認められる宝石となりました。

故郷・伊勢志摩への愛

事業を拡大する一方で、幸吉は故郷・伊勢志摩に惜しみない愛情を注ぎました。 「宮川以南の金次郎(二宮尊徳)」を自称し、道路や鉄道の整備、学校への寄付などインフラ整備に私財を投じました。さらに、風光明媚な故郷の景色を守るため、国内外の賓客を招いては伊勢志摩の魅力をPRし、「伊勢志摩国立公園」の指定(戦後に実現)に尽力しました。

1954年(昭和29年)、老衰のため96歳で大往生。 彼が遺した「ミキモト・パール」は、今も世界中の女性を美しく飾り続けています。

Information

御木本幸吉を深く知る「この一冊!」

長編伝記小説

本のご紹介

幸吉八方ころがし: 真珠王・御木本幸吉の生涯 (文春文庫 289-2) / 永井 龍男 (著)

文庫 – 1986/9/1

貧しいうどん屋の息子がいかにして「真珠王」へと登りつめたのか。失敗を恐れず、常に前向きに、そして時には「ホラ吹き」と言われながらも周囲を巻き込んでいった人間・御木本幸吉の魅力的な生涯を描いた傑作伝記小説です。

📍【究極の完全網羅版】御木本幸吉の足跡を辿る — ゆかりの地・史跡リスト

真珠王・御木本幸吉の足跡は、生誕の地・鳥羽、故郷の発展に尽くした伊勢・志摩、そして世界進出の拠点となった東京・銀座に数多く残されています。

【三重県鳥羽市・伊勢市・志摩市】 生誕・養殖成功・郷土愛の地

  • 御木本幸吉生誕地記念碑(三重県鳥羽市鳥羽2丁目):鳥羽城下・大里町にあった生家、うどん屋「阿波幸」の跡地。現在は四辻の角に「御木本幸吉翁生誕地」と刻まれた石碑が建てられています。
  • ミキモト真珠島(旧・相島)(三重県鳥羽市鳥羽1-7-1):1893年(明治26年)、世界で初めて真珠(半円真珠)の養殖に成功した島です。
  • 御木本幸吉記念館(三重県鳥羽市鳥羽1-7-1):真珠島内にある記念館。うどん屋「阿波幸」の復元模型や、幸吉の愛用品、波乱の生涯を伝える資料が展示されています。
  • 御木本幸吉翁像(ミキモト真珠島内)(三重県鳥羽市鳥羽1-7-1):生前の1953年(昭和28年)に島内に建立された、和服姿の幸吉の銅像です。
  • 御木本幸吉翁像(鳥羽駅前広場)(三重県鳥羽市鳥羽1丁目):真珠養殖成功100周年を記念し、1993年(平成5年)にJR/近鉄鳥羽駅前の広場に建立された、洋装(山高帽にステッキ)の銅像です。
  • 済生寺・御木本幸吉墓所(三重県鳥羽市鳥羽3-25-1):鳥羽の菩提寺。真珠王は故郷の海を見守るように、ここに静かに眠っています。
  • 旧鳥羽小学校跡(現・鳥羽市歴史文化ガイドセンター付近)(三重県鳥羽市鳥羽3丁目):幸吉は郷土の教育に私財を投じ、鉄筋コンクリート造のモダンな小学校を寄贈しました。1954年の幸吉の葬儀もここで行われました。現在は「鳥羽尋常高等小学校跡」の碑が残っています。
  • 御木本道路および道標(三重県伊勢市・鳥羽市・志摩市):幸吉は、伊勢神宮の外宮から内宮を結ぶ連絡道路(現・県道32号線の一部、1945年整備)をはじめ、志摩半島一帯の交通網整備に私財を投じました。外宮前や猿田彦神社前、朝熊山など、地域内約80基の「幸吉寄贈の石の道標(町しるべ)」が現存しています。
  • 英虞湾・多徳島(たとくじま)(三重県志摩市阿児町):幸吉が真珠養殖の本格的な拠点を置いた島。晩年はここの「新多徳」の自宅で過ごし、昭和天皇やマッカーサー夫人などを迎えました。

【東京都】 ブランド発信の拠点と眠りの地

  • ミキモト本店(東京都中央区銀座4-5-5):1899年(明治32年)に「御木本真珠店」を開設した場所。世界ブランド「ミキモト・パール」の歴史がここから始まりました。
  • 真珠王記念碑(東京都中央区銀座4-5-5):ミキモト本店(ミキモトパールビル)の前にあります。1953年(昭和28年)、銀座通連合会により「銀座の誇り」として建立されました。
  • 青山霊園・御木本幸吉の墓(東京都港区南青山2-32-2):著名人が多く眠る都立霊園。幸吉の墓所(1種イ11区12-1乙)があります(鳥羽の済生寺と分骨)。

【神奈川県小田原市】 尊敬した二宮尊徳ゆかりの地

  • 二宮尊徳生家跡(尊徳記念館)および道標(神奈川県小田原市栢山2065-1):幸吉は「宮川以南の金次郎」と称するほど二宮尊徳を崇拝しており、荒廃していた生誕地を購入・整備し中央報徳会に寄付しました。JR松田駅前には、幸吉が自ら建てた「二宮尊徳翁誕生地栢山道」という石の道標も残されています。

💬御木本幸吉の遺産:現代社会へのメッセージ

「成功するまで諦めなければ、失敗ではない」

御木本幸吉の生涯は、赤潮による貝の全滅、世界からの「ニセモノ」というバッシング、そして戦時中のぜいたく品禁止令など、幾度もの絶望的な困難に見舞われました。しかし、彼はその度に「次はどうすればいいか」と考え、決して歩みを止めませんでした。

さらに彼は、ただ「モノ」を作るだけでなく、「ミキモト・パール」という「ブランド(信用)」を世界に売り込みました。マスコミの力を使い、万博で真珠の五重塔を出展して驚かせ、粗悪品が出回った際には自社の真珠を焼却して品質への絶対の自信を示しました。これは現代のマーケティングの先駆けともいえる偉業です。

自然への畏敬の念を持ちながら、科学と情熱で不可能を可能にした「真珠王」の精神は、困難な時代を切り拓く私たちに、尽きることのない勇気とインスピレーションを与えてくれます。

©【歴史キング】

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