
福岡県の偉人:中村天風 — 結核を克服し、人生の真理を説いた「運命を拓く哲人」

福岡県
「人生は心一つの置き所」
この言葉は、武蔵国王子(現在の東京都北区)に生まれ、波乱万丈の人生を送り、日本中に「心身統一法」を広めた哲人、中村天風(なかむら てんぷう)の核心的な教えです。彼は、若き日に軍事探偵として活躍する一方で、不治の病である結核に冒され、死の淵をさまよいます。しかし、ヨガの聖者との運命的な出会いを経て、病を克服し、人生の真理を悟りました。帰国後は実業界で成功を収めるも、すべてを捨てて講演家となり、その哲学は東郷平八郎、原敬、松下幸之助など、各界の著名人に多大な影響を与えました。
玄洋社の豹:波乱に満ちた前半生
中村天風、本名・三郎は1876年(明治9年)、大蔵省紙幣寮抄紙局長であった父・中村祐興(ゆうこう)の息子として、東京で生まれました。父は旧柳川藩士であり、中村家は立花家と遠縁にあたります。天風は幼少期に福岡市の親戚の家に預けられ、修猷館中学に入学。ここで、立花家伝の剣術である随変流を極め、「天風」という号も、この流派の抜刀術の型からとったものです。修猷館時代には、柔道部のエースとして活躍するも、ある出来事で退学。玄洋社の頭山満(とうやま みつる)のもとに預けられることになり、その荒々しい気性から「玄洋社の豹」と恐れられました。16歳で頭山の紹介により、帝国陸軍の軍事探偵(諜報員)となった天風は、日露戦争が迫る満州へと潜入します。馬賊と斬り合いを演じ、コサック兵に捕らえられて銃殺刑に処せられる寸前で部下に救出されるなど、命がけの諜報活動で活躍。「人斬り天風」の異名を取りました。参謀本部が派遣した113名の軍事探偵のうち、無事に帰還できたのはわずか9名だったと言われています。
死の淵からの生還:ヒマラヤでの悟り
日露戦争後、天風は帝国陸軍で高等通訳官を務めていましたが、30歳で不治の病とされていた奔馬性肺結核を発病します。結核菌の第一人者である北里柴三郎の治療を受けても病状は悪化する一方で、死の恐怖に襲われる日々が続きました。彼は、心の弱さが病を引き起こしていると考え、その解決策を求めて、アメリカ、ヨーロッパへと渡り、一流の哲学者や宗教家を訪ね歩きました。しかし、納得のいく答えを得ることはできず、失意のうちに日本への帰路につきます。その途中、立ち寄ったエジプトのアレキサンドリアで、偶然ヨガの聖者カリアッパ師と出会います。カリアッパ師は、天風の苦悩を見抜き、彼をヒマラヤの奥地へと導き、2年半におよぶ厳しい修行を行わせました。この修行を通じて、天風は「心身統一法」を会得し、「自分は大宇宙の力と結びついている強い存在だ」という人生の真理を悟ります。そして、結核を克服し、奇跡的な生還を果たしました。
実業界での成功と、講演家への転身
結核を克服し、帰国した天風は、時事新報の記者を経て、実業界に転身。東京実業貯蔵銀行の頭取を務めるなど、大きな成功を収めました。しかし、大正8年(1919年)、講演中に突然感じるところがあり、職や財産をすべて捨てて、講演家となることを決意します。そして「統一哲医学会」(後の天風会)を創設し、街頭で「心身統一法」を説き始めました。天風の思想は、東郷平八郎や原敬といった政治家、松下幸之助、稲盛和夫といった実業家など、各界の著名人を深く魅了しました。彼らは天風を「生涯の師」と仰ぎ、その教えを自らの人生や事業経営に活かしました。天風の教えは、単なる成功哲学ではなく、人間の潜在能力を最大限に引き出し、真の幸福を実現するための総合的な哲学でした。彼は、人生の成功や幸福は、積極的な心の持ち方から生まれると説き、そのために日々の生活で実践できる具体的な方法を提示しました。
天風の核心的思想「心身統一法」
中村天風が創見した「心身統一法」は、単なる健康法や成功哲学を超えた、人間の潜在能力を最大限に引き出し、真の幸福を実現するための総合的な生き方の哲学です。この思想は、現代社会においても多くの人々に影響を与え続けており、その普遍的な価値が証明されています。
宇宙との結びつきと人間の無限の可能性
心身統一法の根幹にあるのは、人間が宇宙の一部であり、無限の可能性を秘めているという考え方です。天風は、私たち一人一人が大宇宙の力と直接つながっており、その力を引き出すことができると説きました。この考えは、人間の潜在能力への深い信頼と、自己肯定感の源泉となります。天風は、私たちが生まれた時から持っている「生命の力」を存分に発揮させることが、幸せで生き甲斐のある人生を現実化する鍵だと考えました。大自然・大宇宙に満ちている大きなエネルギーを分量多く取り入れることで、私たちは自身の潜在能力を最大限に発揮できるのです。
積極的思考と自己実現
天風哲学の特徴の一つは、積極的思考の重要性を強調している点です。人生の成功や幸福は、積極的な心の持ち方から生まれると天風は主張しました。消極的な考えや不安、恐れを払拭し、常に前向きで建設的な思考を維持することが、自己実現への道を開くのです。
この考え方は、現代の自己啓発書や成功哲学にも大きな影響を与えています。天風は、「なる」と信じ、「できる」と確信することで、人は驚くべき力を発揮できると教えています。
困難を乗り越える精神力
天風哲学において、困難は成長の機会として捉えられます。天風自身が結核を克服した経験から、精神力の重要性を強調しました。彼は、どんな困難も乗り越えられるという強い信念を持つことで、人は驚くべき力を発揮できると教えています。
「病は気から」という言葉がありますが、天風はこれを更に発展させ、精神の力で身体の状態を変えられると主張しました。この考え方は、現代のストレス社会においても、重要な示唆を与えています。
日常生活における実践方法
心身統一法の特徴は、その実践性にあります。天風は、理論だけでなく、日々の生活の中で実践できる具体的な方法を提示しました。以下に、主な実践方法を紹介します:
- 呼吸法:深い呼吸を意識的に行い、心身のリラックスと集中力の向上を図ります。天風が考案した「呼吸操練」は、身体の各呼吸器官を鍛えて、呼吸機能を旺盛にする運動法です。
- 瞑想:毎日数分間の瞑想を行い、心を落ち着かせ、自己と宇宙とのつながりを感じます。天風式の「安定打坐法」は、心を安定させると共に、無念無想の境地を目指します。
- 積極的な言葉遣い:日常会話や自己対話において、常にポジティブな言葉を使うよう心がけます。これにより、思考の質を高め、積極的な行動につなげます。
- 感謝の実践:日々の生活の中で、感謝の気持ちを持ち続けることで、前向きな心の状態を維持します。感謝の心は、人間関係の改善にも大きく寄与します。
- 身体運動:天風が考案した特別な体操を行い、心身の調和を図ります。「統一式運動法」は全身の筋肉を使いながら、日頃使われない筋肉を鍛える運動法です。
中村天風ゆかりの地:人生の真理を辿る旅
中村天風の足跡は、彼の生まれ故郷である東京から、修行の地であるヒマラヤ、そして講演家としての活動拠点となった東京へと繋がっています。
- 中村天風墓所(東京都文京区大塚 護国寺):天風が眠る墓所です。
- 天風会(東京都文京区):天風の思想を学び、実践するための本部道場です。
中村天風の遺産:現代社会へのメッセージ
中村天風の生涯は、私たちに「人生の主役は自分自身であり、運命は自ら切り拓くものだ」ということを教えてくれます。彼は、結核という不治の病を克服したように、どんな困難も乗り越えられるという強い信念を持ち、その精神を多くの人々に伝えました。彼の「心身統一法」は、単なる健康法ではなく、人間の潜在能力への深い信頼に基づいた人生哲学です。この思想は、ストレス社会に生きる私たちに、心の安定と積極的な行動をもたらし、より充実した人生を送るためのヒントを与えてくれます。天風の物語は、一人の人間が、その思想と行動力によって、多くの人々の心を動かし、社会全体をより良い方向へと導くことができることを証明しています。彼の言葉と精神は、現代に生きる私たちに、自己の可能性を信じる勇気と、真の幸福を追求する情熱を、力強く語りかけているのです。
(C)【歴史キング】

運命を拓く: 天風瞑想録 (講談社文庫 な 52-1) / 中村 天風 (著)
文庫 – 1998/6/12

怒らず、怖れず、悲しまず、正直、親切、愉快に生きよ!
読む程に生きる力が漲る、哲人天風感動の教え。幾百万の人々を生き生きと活かした「積極的人生」のすすめ。感動のロングセラー。
1919年、辻説法での第一声から100年続く至高の人生哲学
あの大谷翔平選手も、渡米前に熟読してた本の1つと言われています。

中村天風 成功哲学三部作 / 中村 天風 (著), 公益財団法人天風会 (監修)
単行本 – 2008/10/8

「成功の実現」発刊20周年を記念して、天風師の代表著作3冊と貴重な講演録CD(35分)をセットにした《特別愛蔵版》を出版。「成功の実現」「盛大な人生」「心に成功の炎を」の各巻とも、表紙に高級人工スエードを使用した軽い仕様の携帯版。天風ファンなら常に手元に置きたい、講話CD付愛蔵版。