山梨県の偉人:初代 根津嘉一郎 — 「終始一誠意」を貫き、事業の利益を国家社会に還元した不屈の“鉄道王”
プロフィール
初代 根津 嘉一郎(ねづ かいちろう)│ 幼名:栄次郎、のち隆三
1860(万延元)年8月1日生│1940(昭和15)年1月4日没(午前1時30分:享年81・満79歳)
「鉄道王」
- 出身地:甲斐国山梨郡正徳寺村(現・山梨県山梨市正徳寺)
- 号:青山(せいざん)
- 職業・肩書き:実業家、政治家(衆議院議員、貴族院勅選議員)、東武鉄道社長、日本美術協会終身会員
- 称号・受章:山梨市名誉市民、正五位。勲四等旭日小綬章(日露戦争の功)、勲三等瑞宝章(日独戦争の功)、旭日中綬章、勲二等瑞宝章(満州事変の功)、ベルギーレオポルド2世勲章グラン・クロワ(美術交流の功)など。
- 主な功績:
- 200数十社にのぼる企業の設立・経営参画(東武鉄道、南海鉄道などの再建)。
- 旧制武蔵高等学校の設立、山梨県下への「根津ピアノ」寄贈。
- 根津美術館の礎となる東洋古美術品の保護。
- 家族・親族:父・藤右衛門、母・きみ。兄・一秀、姉・とら、妹・くに。妻・久良。長男・藤太郎(二代目根津嘉一郎)。養女・田鶴、姪・あい。孫・根津嘉澄。後継者・根津榮三郎。
- 交友・関係の深い人物:若尾逸平、雨宮敬次郎、小野金六、渋沢栄一、堀内良平、早川徳次、福沢桃介、馬越恭平、宮島清次郎、吉田茂、池田勇人、ジョン・ロックフェラー
「鉄道は人を運ぶだけでなく、人の心を結ぶものだ」
「社会から得た利益は社会に還元する義務がある。自分は子孫の為に美田は買わない。国家社会の為自分でなければ出来ないことに寄与する」
明治から昭和にかけて、勃興期の日本資本主義に強烈なエネルギーを注入し、「鉄道王」として名を馳せた一人の実業家がいました。甲州財閥の巨頭・初代 根津嘉一郎(ねづ かいちろう)です。
倒産寸前の企業を次々と買収しては再生させる手腕から、時に「ボロ買(嘉)一郎」と揶揄されながらも、東武鉄道をはじめ生涯で200数十社にのぼる企業の経営に参画。赤字続きだった東武鉄道を関東最大級の私鉄へと育て上げたその開拓者精神は、孫の代による「東京スカイツリー」建設へと結実しました。 しかし、彼の真の偉大さは「富の蓄積」ではなく「富の還元」にありました。旧制武蔵高等学校の創立、郷里・山梨の全小学校への「根津ピアノ」寄贈、そして国宝を護り抜いた「根津美術館」の設立。 私利私欲を捨て、生涯を通じて「誠意と努力」を貫いた不屈の起業家、根津嘉一郎の激動の生涯に迫ります。
ガキ大将の無断上京と、人生を変えた「甲州財閥」の至言
万延元年(1860年)、根津嘉一郎(幼名:栄次郎、のち隆三)は、甲斐国・正徳寺村(のちの平等村=ひらしなむら、現・山梨市)の豪商「油屋」の次男として生まれました。 生来の負けず嫌いで腕白なガキ大将でしたが、父・藤右衛門が他人の援助を一切受けずに没落した家を再興した姿を見て育ち、「世の中で独立独歩ほど尊いものはない」という不屈の精神を骨の髄まで刻み込みました。
17歳で郡役所の書記になるも、酒やタバコを覚えて放蕩し、21歳で軍人を志して家族に無断で上京。年齢制限で陸軍士官学校には入れず、上野で馬杉雲外(ますぎうんがい)や古屋周斎といった漢学者の私塾を渡り歩きます。武田信玄を敬愛するあまり、上杉謙信ひいきの塾生と大乱闘を演じるなど、その血気盛んな豪胆さは隠しようがありませんでした。
帰郷後、村上知彰の六女・久良(くら)と結婚し、病弱な兄・一秀に代わって家督を継ぎ「嘉一郎」を襲名。自由民権運動の熱気の中で政界へ進出し、村長や県会議員(治水の建白などに尽力)を務めますが、政治には莫大な金が必要でした。 多額納税者となっていた彼に、人生の決定的な転機が訪れます。同郷の甲州財閥の巨頭たちとの出会いです。 若尾逸平は「株を買うなら将来性のある『のりもの』と『あかり』だ」と先見の明を授け、雨宮敬次郎は「相場で一時の利益を得るのは男子の本懐ではない。自ら事業を興し、事業を成り立て、その利益を享受することをせよ」と痛烈に諭しました。相場師として株の大暴落を味わっていた根津は、この至言を胸に真の実業家へと覚醒していくのです。
怒号と信念の企業再生 —「ボロ買(嘉)一郎」の快進撃
体調が回復した兄へ潔く家督を譲り返し、東京へ拠点を移した根津の快進撃が始まります。彼が「鉄道王」となる原点は、九州鉄道の経営改革での成功でした。
その凄まじい気迫が発揮されたのが、東京電燈(現・東京電力)の再建です。広告の裏紙を使うほどの徹底したコスト削減を断行し、旧経営陣が恐れていた石炭仕入れの癒着にメスを入れました。「全然怒らなくて世の中が無事に過ごせるわけがない。怒るときは大いに怒ってもいい」と、暴力的な脅迫にも一歩も引かず、第一徴兵保険会社などの資金を駆使して会社を甦らせます(のちに大正15年の東電騒動で撤退)。 倒産寸前の会社を買い取っては見事に再生させるその手腕は、世間から「火中の栗を拾う男」「ボロ買(嘉)一郎」と恐れられ、そして讃えられました。
「鉄道は人の心を結ぶ」 — 東武鉄道の奇跡と事業の拡大
彼の起業家人生の最大のハイライトが、東武鉄道の奇跡的な再建です。 北千住・久喜間を開通させた後、川俣で路線が途絶え「東武鉄道空引会社」と揶揄されるほどの赤字に苦しんでいた同社。株主だった根津は経営陣に懇願されて社長に就任すると、「内に消極、外に積極」の理念を掲げます。 周囲が「時期尚早」と猛反対する中、巨費を投じて利根川への架橋を断行し、足利、伊勢崎へと鉄路を延ばしました。さらに「鉄道は人を運ぶだけでなく、人の心を結ぶものだ」と語り、日光・鬼怒川の観光開発を推し進めます。「客が日帰りすれば地元が衰退する」という猛烈な反対運動に対し、「私が鉄道を敷いた以上、2倍、3倍のお客を持ってきます」と説き伏せ、見事に大観光地へと発展させました。
事業の拡大はとどまるところを知りません。南海鉄道、横浜鉄道、富士身延鉄道(堀内良平を支援)、東京地下鉄道(早川徳次と共同設立)など、資本関係を持った鉄道会社は20社を超えました。 さらに、福沢桃介に誘われて買収したカブトビール(のちの日本麦酒鉱泉/現・アサヒビール。半田赤レンガ建物を拠点とする)では、王冠買い取りのキャッシュバック方式で馬越恭平率いる大日本麦酒と死闘を演じます。また、関東大震災のパニックの真っ只中に「富国徴兵保険(現・富国生命)」の設立総会を強行し、大企業へと育て上げるなど、小野金六らとともに甲州財閥の巨星として君臨しました。
「富は社会に還す」 — 根津美術館と教育への情熱
実業家としての顔とは裏腹に、根津は私利私欲を嫌いました。渋沢栄一らとの渡米視察で、アメリカの富豪たちが公共事業に私財を投じる姿に深い感銘を受けた彼は、莫大な富を社会へ還元し始めます。
日本初の7年制「旧制武蔵高等学校(現・武蔵大学)」の創立をはじめ、郷里・山梨には橋を架け、図書館を建ごと寄贈し、県下の全小学校へ約200台の「根津ピアノ」やミシンを贈りました。水害や火災の罹災者への寄附も惜しみませんでした。
また、日本の古美術品が海外へ流出している現実に危機感を抱いた彼は、東洋美術の保護に立ち上がります。「青山(せいざん)」と号して茶の湯を嗜みながら豪快に蒐集したコレクションは、彼の死後、「衆と共に楽しむ」という遺志を継いだ長男・藤太郎の手で「根津美術館」として開館。現在も国宝「燕子花図」など7,630件もの至宝が、都会のオアシスで私たちを迎えてくれます。
巨星墜つ。脈々と受け継がれる「終始一誠意」の魂
無神論の蔓延を憂い、朝霞市に大寺院を建てる計画(戦時供出と死により頓挫)を抱くなど、最後まで理想を追い求めた根津嘉一郎。 昭和14年(1939年)、79歳の老体を押して南米を視察した無理がたたり、翌年1月4日、稀代の鉄道王は静かに息を引き取りました。日中戦争下で行われた築地本願寺での葬儀は、花輪が一切ない厳素なものでしたが、政財界の重鎮たちがこぞって別れを惜しみました。
彼の座右の銘は「終始一誠意(成功の秘訣は誠意と努力以外にない)」でした。 その魂は一族へと受け継がれます。彼が50歳を過ぎて得た長男・藤太郎(二代目嘉一郎)は、戦中の苦難を乗り越えて「質実剛健の東武」を築き上げ、東証上場企業最長となる53年間も社長を務め「百年の大計」を編みました。さらに孫の嘉澄(よしずみ)社長は、バブル崩壊後の壮絶な負の遺産処理を乗り越え、「何千万と人を吸引できる大きな観光地が必要だ」と東京スカイツリーを建設しました。
目先の「コスパ」や利益ばかりがもてはやされる現代。事業で得た富を教育や文化に惜しみなく注ぎ込んだ根津嘉一郎の生き様は、真のリーダーシップとは何かを、私たちに強く問いかけています。
根津嘉一郎を深く知る「この一冊!・資料!」
根津財閥の創始者ここにあり!

東武王国: 小説根津嘉一郎 (徳間文庫 わ 6-2) / 若山 三郎 (著)
文庫 – 1998/12/1

「ボロ買(嘉)一郎」と揶揄されながらも、驚異的な先見の明と気迫で数多の倒産企業を甦らせた男の軌跡。相場師からの脱皮、東武鉄道の再建など、熱き生涯を臨場感あふれる筆致で描いた経済小説です。
📍【完全網羅版】根津嘉一郎の足跡を辿る — ゆかりの地・史跡リスト
甲州の豪農から身を起こし、東京、そして全国へと情熱を拡大させた根津嘉一郎。彼の「富の還元」と実業の足跡を証明する史跡リストです。
【山梨県エリア】 誕生と報恩の地
- 根津記念館(旧根津家住宅)(山梨県山梨市正徳寺296):
- 生家跡。国登録有形文化財。庭園には富士山を借景にし、笛吹川の川石が配され、大磯の別荘から牛に引かせて運んだ黒松が植えられています。
- 根津嘉一郎銅像(万力公園「万葉の森」内)(山梨県山梨市万力1828)
- 旧平等小学校跡 / 初代山梨県立図書館跡 / 山梨大学 甲府キャンパス:
- いずれも嘉一郎が莫大な私財を投じて設立・寄贈した教育施設の跡地や現在地です。
- マンガ「初代根津嘉一郎の生涯」(Web公開):
- 山梨市と地元中学生の協力で制作された公式マンガプロジェクト。
【東京都・関東エリア】 鉄道王の躍進と文化遺産
- 東武博物館(東京都墨田区東向島4-28-16):
- 東武鉄道の歴史と文化を保存・展示する、「鉄道王」の偉業を今に伝える聖地です。
- 東武鉄道本社 / 東京スカイツリー(東京都墨田区押上):
- 利根川架橋を断行して育て上げた東武鉄道の中枢と、孫の嘉澄社長がその開拓者精神を継承して建設した電波塔です。
- 根津美術館(東京都港区南青山6-5-1):
- 青山の自邸跡。二代目が開館し、現在は現館長・根津公一のもとで新創された展示館に、7,630件もの至宝を収蔵する都心のオアシスです。
- 武蔵学園 / 根津嘉一郎胸像(東京都練馬区豊玉上1-26-1):
- 彼が巨費を投じて開校した日本初の7年制「旧制武蔵高等学校」の現在地。キャンパス内には胸像が建っています。
- 多磨霊園(根津嘉一郎 墓所)(東京都府中市多磨町4-628):
- 15区1種2側10番に眠る、稀代の起業家の墓所です。
- 根津山(現・羽根木公園一帯)(東京都世田谷区代田):
- 大正末期に購入した東京の広大な所有地。現在も地元では「根津山」の名で語り継がれています。
- 東武日光駅および日光・鬼怒川エリア(栃木県日光市):
- 地元民の猛反対を説き伏せ、見事に大観光地へと発展させた歴史的エリアです。
【愛知県・その他のエリア】
- 半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)(愛知県半田市榎下町8):
- 大日本麦酒と激しいシェア争いを繰り広げた「カブトビール」の製造拠点(国登録有形文化財)。
- 九州鉄道関連施設跡(福岡県など九州一円):
- 上京後の彼が「鉄道王」としての運命を決定づけた最初の経営改革の舞台です。
- 大磯の別荘跡周辺(神奈川県中郡大磯町) / 熱海の別荘「双梅崎」跡周辺(静岡県熱海市):
- 晩年を過ごし、静養した別荘の跡地です。
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