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第3回:東京裁判の真実と「法的正義」の虚構

「負けたんだから仕方ない」という言葉の恐ろしさ

戦後日本の歴史認識を語る上で、避けて通れないのが「東京裁判」です。この裁判は、日本の戦争指導者たちを裁くことで、戦後の国際秩序の基盤を築き、日本人自身に戦争責任を深く刻み込むことを目的としていました。しかし、この裁判は本当に「公正」なものだったのでしょうか?山本七平氏は、東京裁判を題材にした映画を見た若者たちが口にした「負けたんだから、しようがないよな」という言葉に、日本の戦前から戦後にかけて変わらない、ある種の無意識の意識を感じ取ります。この言葉は、一見すると諦めや現実主義のようですが、山本氏によれば、これには恐ろしい側面が隠されています。それは、自分が勝ったとき、敗者に対して『おまえは負けたんだから仕方がないと思え』という言葉になるということです。山本氏は、この論理を、日中戦争時の「トラウトマン斡旋案」に当てはめて説明します。南京陥落後、ドイツ大使が日中両国の和平を斡旋しようとした際、日本側は蔣介石政権に対して「無条件降伏に等しい」態度をとり、条件交渉さえ拒否しました。これは、まさに「負けたんだから仕方がない」という論理を相手に押し付けた行為に他なりません。この「負けたんだから仕方がない」という日本人的な感覚が、ポツダム宣言受諾後の自らに対しても適用されました。つまり、戦後の日本人は、自らを厳しく律することで、「敗者の権利のための闘争」を放棄し、東京裁判という「勝者の正義」を抵抗なく受け入れてしまったのです。

「法律が戦争を認めている」という弁護側の主張

東京裁判が抱えていた根本的な問題の一つは、その法的根拠の曖昧さでした。戦後の歴史教科書は、東京裁判を「公正な裁判」として描いていますが、山本氏は、当時の弁護人たちがこの裁判の「不公正さ」を鋭く追及していたことを明らかにします。特に注目すべきは、ブレークニー弁護人(アメリカ人)が法廷で展開した論理です。彼は、国際法に「戦争に関する法規」が存在していることを指摘し、「戦争そのものが違法であるならば、これらの法規は全く意味のないものになる」と主張しました。これは、近代法における重要な原則に基づいています。例えば、賭博が合法な国には「不正賭博禁止法」がありますが、賭博そのものが違法な国にはそのような法律はありません。当時の国際法では、戦争そのものは違法とはされておらず、戦争の開始や遂行に関するルールを定めていました。つまり、「戦争犯罪」とは、あくまでそのルールに違反した者を指し、戦争そのものを犯罪とするものではありませんでした。しかし、東京裁判で日本の指導者たちが問われた「平和に対する罪」は、戦後に急ごしらえで作られた「事後法」でした。これは「ある行為を後になってから法律を作って処罰する」という、近代法の根幹である「法の不遡及の原則」に反するものでした。清瀬一郎弁護人(日本人)は、この点を鋭く突きました。彼は、トルーマン大統領が「世界の歴史始まって以来、初めて、戦争製造者を罰する裁判が行われつつある」と語った言葉を引用し、「あなた方の大統領自身が、従来の法律的観念では律し得ない裁判だと認めているではないか」と反論しました。これらの弁護側の主張は、東京裁判が法的に大きな欠陥を抱えていたことを示しています。しかし、ウェッブ裁判長は、これらの異議を「理由は将来宣告する」として却下し、結局その理由は最後まで明らかにされることはありませんでした。

キーナン検事の反論と「アメリカの平和」

弁護側の理路整然とした主張に対し、検察側のキーナン検事はどのような反論をしたのでしょうか。映画『東京裁判』の描写によれば、清瀬弁護人の主張に驚いたキーナン検事は、法的な反論ではなく、感情的な「政治的演説」に終始しました。彼は、日本を「土匪・海賊集団」になぞらえ、日本が行った戦争を、正当な国家の行為ではなく、無法者による武装反乱であると位置付けたのです。この論理に立てば、日本は「合法的な国家」ではなく、日本の指導者たちは「盗賊団の首謀者」ということになります。盗賊団の一員が「内規を守ったから無罪だ」と主張しても、それが認められないように、日本が自国の法律に従ったとしても、刑罰の免除はあり得ないということになります。このキーナン検事の主張は、法的に見れば破綻しています。しかし、彼の言葉の背後には、当時のアメリカが抱いていた強烈な「正義感」と、世界に対する独自の使命感が存在していました。それは、南北戦争でアメリカが「南政府」を非合法な反乱勢力と見なしたように、日本を「アメリカ的治安」を乱す存在と見なす感覚でした。つまり、キーナン検事にとって、「平和に対する罪」の「平和」とは、世界全体に広がる「アメリカの平和」を意味していたのです。東京裁判は、日本の戦争を裁くという名目のもとに、アメリカが自らの価値観と正義を世界に広めるための舞台でもありました。日本の指導者たちが問われたのは、国際法上の罪というよりも、むしろ「アメリカの平和」を乱したという「政治的責任」であったと言えるでしょう。

「偽善的な尺度」が奪った日本人の責任感

東京裁判の不公正さを指摘したブレークニー弁護人や清瀬弁護人の言葉は、当時の日本の新聞ではほとんど報じられませんでした。GHQの厳しい検閲(プレスコード)の下、新聞は「マッカーサー広報紙」と化し、東京裁判を「正義の正しき実行」として大々的に報じました。この「偽善的な尺度」は、日本人に深刻な影響を与えました。山本氏は、当時の兵士たちが、略奪や強姦殺人を犯した者が軍法会議で死刑に処されるべきだと考えていた一方で、自分たちを敗戦に陥れた指導者たちに責任を問うことができないという矛盾を抱えていたことを指摘します。しかし、東京裁判が日本の指導者を「戦犯」として裁くと、この矛盾はさらに深まりました。なぜなら、「戦犯法廷は非合法だ」と主張すれば、すべての戦犯が「国民に対して責任がなかった犠牲者」のように見えてしまうからです。東條英機でさえ認めざるを得なかった「国民への責任」という意識は、東京裁判の不公正さへの反発の中で、すっかり欠落してしまいました。「侵略戦争だ解放戦争だという前に、重要な視点が欠落している。それは国土を灰燼に帰した徹底的な敗戦であったということだ」という山本氏の言葉は、この「責任」の欠落を痛烈に批判しています。

東京裁判は、日本の戦争指導者たちを裁くことで、日本人から戦争の「敗戦責任」という、本来向き合うべきであった課題から目を逸らさせてしまったのです。

「愛妾を煮て食う」教条主義と日本人の玉砕

山本氏は、日本の歴史に存在しなかった「教条主義」が、幕末から昭和にかけて日本人を突き動かした原動力となったことを指摘します。それまでの日本は、『貞永式目』に見られるように、「道理のおすところ」に従うという、柔軟で現実的な思考を持っていました。しかし、徳川時代に朱子学が伝わると、日本の儒学者たちは、中国の歴史家が「正統性」を論証したのと同じように、天皇こそが絶対的な正統性を持つ存在だと論じ始めます。この「峻厳な正統論」を体現したのが、浅見絅斎の『靖献遺言』です。この本には、張巡という唐代の武将が、夷狄の安禄山に徹底抗戦するため、「愛妾を煮てもって卒に食わしむ(愛妾を煮て兵士に食べさせた)」という、現代の倫理観では到底理解しがたい教条主義的なエピソードが記されています。山本氏は、この『靖献遺言』が、幕末の尊皇の志士たちのバイブルとなり、それが形を変えて昭和の時代にまで影響を及ぼした可能性を指摘します。太平洋戦争末期、多くの日本軍が「玉砕」という悲壮な選択をした背景には、このような「絶対的規範」を守るためには、命を惜しまないという、それまでの日本の歴史にはなかった、教条主義的な精神が浸透していたのかもしれません。これは、戦後の「自虐史観」が主張するような、単なる「軍部の狂気」や「洗脳」で片付けられる問題ではありません。それは、日本の伝統的な精神性とは異なる、外部から輸入された思想が、日本の土壌で独自の形で育まれた結果なのです。

(C)【歴史キング】

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