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第4回:東京裁判の深層——「マッカーサー神学」という名の蜃気楼

「文明の救世主」か「野蛮人の首狩り」か

東京裁判において、検察側を代表するジョセフ・キーナン首席検察官が掲げたスローガンは、驚くほど高潔なものでした。彼は「我々の明白な目的は正義の正しき執行である」と宣言し、この裁判を「文明のための戦い」と位置づけました。彼らにとって、日本の指導者たちは単なる敗戦国の将領ではなく、「文明に対して宣戦を布告した犯罪者」であったのです。

しかし、この「正義」の裏側に潜む倒錯を、山本七平氏は鋭く指摘します。山本氏は、当時の弁護団、特にアメリカ人弁護人ブレークニーやファーネスらが提起した法的疑義に注目します。彼らは、「戦争そのものが犯罪である」という新しい理念が、いかに従来の国際法的正統性を無視し、近代法の原則である「罪刑法定主義(法の不遡及)」を蹂躙しているかを説きました。

日本側の清瀬一郎弁護人が、後にこの裁判を「野蛮人の首狩り」と評したことは有名です。文明の名の下に行われる処刑が、実は勝者による敗者への「復讐」を「法」という衣で包み隠したに過ぎないのではないか。山本氏は、この問いこそが東京裁判の本質を突いていると考えます。

当時、世界で唯一の原爆保有国であったアメリカは、自らを「文明の保護者」と信じて疑いませんでした。しかし、文明を救う救世主たらんとした彼らが、同時に最も非文明的な「事後法による裁き」を強行したという事実は、歴史の巨大なアイロニーと言わざるを得ません。

マッカーサーという「神学的権威」の誕生

東京裁判という舞台の演出家であり、戦後日本の実質的な統治者となったダグラス・マッカーサー。彼は、アメリカ大統領ですら持ち得ない「無制限の権力」を日本で行使しました。山本氏は、マッカーサーが単なる軍人や政治家としてではなく、一種の「預言者」あるいは「神学者」として振る舞った点に、戦後日本形成の特異性を見出します。

マッカーサーは、原子爆弾の出現によって伝統的な戦争観は修正されなければならず、問題の本質は「軍事」や「政治」ではなく「神学的問題」であると説きました。彼が調印式や演説で頻繁に用いた「アルマゲドン(終末的な決戦)」という言葉は、キリスト教的、特にアメリカ的な「通俗的終末論」に深く根ざしたものでした。

彼の思想の根底には、世界を「光の子(自由と民主主義)」と「闇の子(専制とファシズム)」に分ける二元論がありました。第二次世界大戦をこの二勢力の最終決戦と位置づけ、「光」が勝利した今、敗北した「闇の子」である日本人は「回心(コンバージョン)」して「光の子」に生まれ変わらなければならない -。これが、マッカーサーが日本に求めた「精神的革命」の正体でした。

この「マッカーサー神学」は、GHQによる徹底的な検閲(プレスコード)によって守られました。批判は封じられ、新聞はまるで新興宗教の機関紙のようにマッカーサーを賛美する記事で埋め尽くされました。情報的環境を完全にコントロールされた日本人は、周囲に合わせて色を変えるカメレオンのように、急速に「民主主義者」へと変貌していったのです。

「マッカーサー欽定憲法」の偽善と理想

この「マッカーサー神学」の結晶として誕生したのが、日本国憲法です。山本氏は、憲法前文や第九条を、法学的な文書としてではなく、マッカーサーの「神学的宣言」として読み解くべきだと主張します。

憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という一節。ここでの「諸国民」とは、マッカーサーの定義によれば「光の子」の連合国であり、とりわけアメリカを指します。つまり、この憲法は、日本が「アメリカの平和(パクス・アメリカーナ)」という傘の中に入り、その「政治道徳の法則」に従うことを条件に、生存と安全を保証するという契約書であったのです。

特に論争の的となる第九条についても、山本氏はマッカーサーの「アルマゲドン回避」の情熱から理解します。戦争という手段が封じられた新時代において、武力を永久に放棄することは、彼にとって「強大かつ公平な制度」への第一歩でした。しかし、この理想主義が、当時「日本人による自発的な文章」として、厳しい検閲の下で偽装されて公表された事実に、山本氏は強烈な偽善を感じ取ります。

日本人は、自らの手で憲法を勝ち取ったわけではなく、マッカーサーという「神」から与えられた「欽定憲法」を受け入れたに過ぎません。その結果、日本人は「主権者として自ら国法を定める」という、民主主義の根源的な経験を欠いたまま、戦後のスタートを切ることになったのです。

「薬」として利用された民主主義

興味深いことに、マッカーサーの壮大な「福音宣布」に対して、日本人は驚くほど柔軟(あるいはしたたか)に対応しました。山本氏は、この現象を江戸時代の思想家・石田梅岩の言葉を借りて「薬」と表現します。

日本人は、マッカーサーが持ち込んだ民主主義や平和主義という新しい理念を、真理として信仰したわけではありませんでした。彼らはそれを、敗戦による「経済的病」を治し、国家を再建するための「最上の薬」として活用したのです。町人学的な実利主義に基づき、新しい理念を自分たちの生存に役立つ道具として使いこなす -。これこそが、戦後の高度経済成長を支えた日本人の「特技」でした。

マッカーサーが、日本をキリスト教国化できると確信していたのに対し、日本人は「一億総懺悔」という形をとって彼の機嫌を取りつつ、その実、自らの伝統的な生活倫理である「勤勉」と「商魂」を貫きました。マッカーサーの「神学」は、日本人の精神の深層に根を下ろすことはなく、経済復興という目的が達成されるとともに、蜃気楼のように消えていったのです。

結果として、日本は「少々薬が効きすぎた」と言われるほどの経済大国となりました。しかし、その過程で、東京裁判や憲法制定の背後にあった「法的な不条理」や「責任の所在」という問題は、棚上げされたまま放置されました。私たちが今日直面している「国家意識の希薄さ」や「責任回避の空気」は、この「マッカーサー神学」という偽善の傘の下で、真の自立を回避し続けたことのツケであると言えるかもしれません。

歴史の審判と「空気」の呪縛

山本七平氏は、東京裁判を「歴史の審判」という視点から再定義します。キーナンら検察側は、自分たちが歴史を裁いていると信じていましたが、実際には、その恣意的な法廷運営そのものが、後の歴史によって裁かれる対象となりました。

ウェッブ裁判長が天皇の出廷にこだわり、それがマッカーサーらによって封じられたことに憤ったというエピソードは、この裁判が「法」ではなく「政治的・神学的意図」によって動かされていた証左です。天皇を「光の子」に改宗させるための象徴として温存し、その代わりに部下たちを「闇の子」として処刑する -。この歪んだ構造が、日本人の責任感を歪曲させ、「空気」という無責任な支配体制を温存させる結果を招きました。

戦後の日本が直面した「中ソ平和勢力論」や、左右の極端なイデオロギー対立も、根底ではマッカーサー的な二元論の焼き直しに過ぎなかったと山本氏は喝破します。自分たちを常に「正義(光の子)」の側に置き、他者を「悪(闇の子)」として糾弾する。この思考停止のポーズが、戦後マスコミや知識層の免責事項となり、真の戦争責任の議論を妨げてきたのです。

私たちは今、マッカーサーが残した蜃気楼の残骸を整理し、自分たちの足で「法」と「責任」の再構築を始める時期に来ています。東京裁判で「答えられなかった疑問」は、消えたわけではなく、今もなお日本人の精神の奥底で、その回答を待ち続けているのです。

次回は、この「無責任の構造」がいかにして日本社会に定着し、現代の組織運営にまで影を落としているのかを詳しく考察します。

©【歴史キング】

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