第5回:現人神と立憲君主の相克――なぜ「責任の所在」は消失したのか?
「ニューズウィーク」記者が踏み込めなかった聖域
1975年、昭和天皇の訪米直前に行われた「ニューズウィーク」誌による単独インタビューは、戦後史における一つの転換点でした。そこで交わされた問答は、天皇が自らの戦前における権限をどう認識していたかを知る貴重な資料ですが、同時に「日米の決定的な認識のズレ」を浮き彫りにしました。
保守的なアメリカのメディアは、戦前・戦後の天皇制の違いをこう解説しました。
「戦前の憲法は天皇に『神聖性と不可侵性』を与えたが、戦後の憲法は彼に『象徴性』を与えた」
一見、理路整然とした説明ですが、山本七平氏はこの「憲法が天皇に与えた(give)」という表現に、欧米的な「法至上主義」の限界を見出します。アメリカ人にとって、権力とは憲法という「契約書」によって与えられるものです。しかし、日本の実態は違います。
もし憲法の規定がすべてであれば、そもそも「現人神」という概念も「人間宣言」も必要なかったはずです。天皇にとって、明治憲法も新憲法も、その根底にあるのは「父祖の掟」や「先例」を遵守するという伝統的な精神の連続性であり、欧米的な「法による権利の付与」というドライな関係ではなかったのです。
「立憲君主である現人神」という論理的破綻
戦前の天皇は、一面では「現人神」であり、一面では「立憲君主」でした。しかし、この二つは本来、論理的に両立不可能な概念です。
明治憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」は、実は日本の独自物ではなく、プロテスタント諸国の君主制にも見られる「君主の非政治的責任」を規定したものでした。つまり、「政治責任を負うのは内閣であり、君主は責任を負わない」というブレーキの役割を果たすはずの条項だったのです。
では、なぜこれが「無限の権限を持つ現人神」へと変貌したのでしょうか?
山本氏は、天皇家が自ら「現人神宣言」を出した痕跡はどこにもないことを指摘します。むしろ、この「現人神」という怪物を作り上げたのは、憲法の外部にあった「教育勅語」と「軍人勅諭」、そしてそれを受け入れた日本社会の側でした。
戦前の日本は、法(憲法)によって支配される「法治国家」ではなく、天皇を「道徳の制定者」とする「徳治主義」の国でした。国民を実際に縛っていたのは憲法の権利義務条項ではなく、教育勅語に記された徳目だったのです。この「道徳制定者としての天皇」には無謬性(間違いがないこと)が仮託され、それが神格化へとつながっていきました。
「政治の中心」が消えた大正の遺産
天皇はインタビューで、「開戦の決定は覆せなかった」「真珠湾攻撃を阻止できなかった」と回想しています。多くの外国人はこれを「責任逃れ」と感じるかもしれませんが、山本氏は「これが事実であることこそが問題の焦点だ」と喝破します。
なぜ、最高権力者であるはずの天皇が「ノー」と言えなかったのか。その背景には、大正時代の「空位時代」に確立された奇妙な慣行がありました。
大正天皇の病弱により、実質的に天皇が意思決定に関与できない期間が続いた結果、陸軍・海軍・各省庁はそれぞれ「自分たちの決定を天皇に対して責任を負うが、天皇は決定に責任を負わない」という、バラバラな責任内閣制を勝手に確立してしまったのです。
これを山本氏は「政治的決定の中心がどこにあるのかわからない多極化現象」と呼びます。
内閣を「流産」させる軍部の拒否権
この「中心不在」の構造を象徴するのが、昭和12年の「宇垣内閣流産事件」です。天皇から組閣の大命を受けた宇垣一成に対し、陸軍は三長官会議(教育総監、陸軍大臣、参謀総長)の合意によって陸相の推薦を拒否しました。
この行為に法的根拠はどこにもありません。単なる「陸軍の内規」に過ぎませんでした。しかし、この内規一つで内閣は生まれる前に消滅し、天皇は実質的に「軍の意向に従うしかない存在」へと追い込まれたのです。
当時の民衆は「主権者は天皇ではなく三長官だ」と直感しました。軍部は天皇への絶対的忠誠を口にしながら、その実、天皇に対して「拒否権」を行使するという、巨大なパラドックスを抱えていたのです。
アメリカ人が理解できない「署名するだけの責任」
「参謀が三つの案を出し、指揮官が一つを選んで責任を負う」という欧米的な決断システムから見れば、戦前の日本は異様です。日本では、下部組織で練り上げられ「決定された一案」だけが天皇の前に差し出され、天皇はただ「署名と認証」を求められるだけでした。
「他に選択肢がない状態で署名した人間に、いかなる責任があるのか?」
この問いに対し、欧米人は「そのような存在は想像できない」と答えます。しかし、これこそが日本における「意志決定の無責任体制」の本質でした。山本氏は、戦前の日本を動かしていたのは「法」でも「天皇の意思」でもなく、各機関が勝手に作り上げた「空気」という名の独走状態であったと指摘します。
現代に生き続ける「釈然としない」空気
戦後の天皇の戦争責任追及において、「道徳的責任はすべて天皇が負うべきだ」と主張する人々がいます。しかし、山本氏に言わせれば、それこそが「裏返しの現人神化」であり、戦前の徳治主義的な発想から一歩も出ていない証拠です。
戦前、日本人は組織の無統制を、組織の整備ではなく「天皇への無謬性の仮託」というムード(精神運動)で乗り切ろうとしました。そして現在も、政治家が法的規定通りに答弁しても、国民の側に「何となく釈然としないもの」が残るのは、我々がいまだに「法による責任」ではなく「ムードによる納得」を求めているからではないでしょうか。
天皇の戦争責任という問題は、天皇個人の問題を超えて、日本という社会がいかにして「責任」を霧の中に消し去ってしまうのかという、現在進行形の課題を突きつけているのです。
次回は、この「責任の空白」が戦後、どのように「靖国問題」へと姿を変えていったのかを考察します。
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