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栃木県の偉人:高橋由一 — ちょんまげ姿で油絵を志した「近代洋画の父」、その執念のリアリズム

プロフィール

高橋 由一(たかはし ゆいち)
1828(文政11)年3月20日生│1894(明治27)年7月6日没(67歳)
「日本近代洋画の父」「二先覚(もう一人は浅井忠)」「天絵社(天絵学舎)」

  • 出身地:江戸(佐野藩邸) ※現在の東京都千代田区、ルーツは栃木県佐野市
  • 職業:洋画家
  • 師匠:狩野洞庭(日本画)、川上冬崖、チャールズ・ワーグマン、アントニオ・フォンタネージ
  • 代表作:『鮭』、『花魁』、『豆腐』
  • 画塾:天絵社(天絵学舎)

「画(え)は物形を写すのみならず、併せて物意(ぶつい)を写得するが故に、人をして感動せしむるに足る」

(絵画というものは、単に物の形を写すだけでなく、その「物の魂(リアリティ)」までをも写し取るからこそ、人を感動させることができるのだ)

この信念を胸に、日本美術史に革命を起こした男がいます。 高橋由一(たかはし ゆいち)。 教科書で誰もが一度は目にしたことがある、あの「鮭」を描いた画家です。

彼は、まだ日本に「油絵」という概念すら浸透していなかった幕末・明治において、刀を捨てて筆を執り、独学と執念で西洋画の技法を習得しました。 

「写真」のようなリアルさを追求し、花魁を描けば「顔のシワまで描くな」と泣かれ、資金繰りのために奔走しながらも、日本初の洋画塾を創設した不屈の開拓者。 栃木県佐野藩の武士の魂を持ちながら、西洋の「眼」を手に入れようともがき続けた、日本近代洋画の父の生涯に迫ります。

佐野藩士の息子、「リアル」への目覚め

1828年(文政11年)、江戸の佐野藩邸(現在の千代田区)で、佐野藩士・高橋源十郎の長男として生まれました。幼名は猪之助。 高橋家は代々、新陰流の剣術師範を務める武家の名門であり、由一も幼い頃から武芸を叩き込まれます。しかし、生来病弱だったこともあり、やがて画才を見込まれ、絵の道へと進むことを許されます。

当初は狩野派などの伝統的な日本画を学んでいましたが、20代の頃、彼の運命を決定づける衝撃的な出会いがありました。ある友人から見せられた「西洋の石版画」です。 そこには、日本の浮世絵や水墨画にはない、圧倒的な「立体感」と「奥行き」、そして「真実」が描かれていました。 「これだ。これこそが真の絵画だ」。 その衝撃が、彼を洋画(油絵)という未踏の荒野へと突き動かしました。

ちょんまげ姿の画学生、ワーグマンに入門

しかし、当時の日本には油絵を教えられる人などほとんどいません。絵具さえ手に入らない時代です。 由一は34歳で幕府の洋学研究機関「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」の画学局に入りますが、そこでの指導は書物を通じた理論が中心で、道具も代用品ばかりでした。

「本物の油絵が描きたい。本物の絵具を使いたい」。 その執念で、慶応2年(1866年)、38歳になっていた由一は横浜の外国人居留地へ向かいます。そこで出会ったのが、イギリス人画家チャールズ・ワーグマンでした。 言葉は通じませんでしたが、由一の熱意に負け、ワーグマンは彼を弟子にします。由一はちょんまげ姿で横浜へ通い詰め、本場の油彩技術を貪欲に吸収していきました。 (※この頃描かれた『丁髷(ちょんまげ)姿の自画像』は、日本人が描いた初の本格的な油彩自画像と言われています)

画塾「天絵社」と、「鮭」に込めた思い

明治維新後、由一は画家として生きる覚悟を決めます。 1873年(明治6年)、日本橋浜町に画塾「天絵社(てんかいしゃ)」を創設。これは日本初の洋画塾であり、川端玉章や原田直次郎など、後の大家たちがここから巣立ちました。

彼が目指したのは、単なる芸術の追求ではなく、「洋画の普及」でした。 「油絵は、見たままを正確に記録できる。これは国の発展に必要な技術だ」。 そう考えた彼は、誰にでも馴染みのある画題を選びました。それが「豆腐」であり、あの「鮭」です。 身近な食材の質感、塩の粒、荒縄の毛羽立ち、切り身の生々しさまでを執拗なまでにリアルに描くことで、「油絵の凄み」を世間に知らしめようとしたのです。

エピソード:「花魁」の涙

代表作『花魁(おいらん)』(重要文化財)には、有名なエピソードがあります。 モデルとなった伝説の花魁・小稲は、完成した絵を見て「あまりにもリアルすぎて憎たらしい」と泣いて怒ったといいます。彼女は浮世絵のような「美化された顔」を期待していたのですが、由一が描いたのは、厚化粧の下の肌の質感や、人間的な重みまでをも容赦なく捉えた「現実」でした。しかし、これこそが由一の到達した「卑俗をも恐れぬリアリズム」の極致だったのです。

琴平への奉納と、東北の記録者として

画塾の運営資金や美術館建設の夢を叶えるため、由一はパトロンを求めます。 その最大の支援者となったのが、香川県の金刀比羅宮(こんぴらぐう)でした。彼は資金援助の返礼として、多くの傑作を奉納しました。そのため、現在も香川県に彼の重要作品が数多く残っています。

晩年は、山形・福島・栃木県令を歴任した「土木県令」こと三島通庸(みしま みちつね)の依頼を受け、東北地方の道路開発やトンネル工事の様子を記録する旅に出ます。 『栗子山隧道図』などに代表されるこれらの作品は、単なる風景画を超え、明治という時代が「近代化」へと突き進むエネルギーを克明に記録した歴史資料ともなっています。

1894年(明治27年)、66歳で死去。 黒田清輝らがもたらした明るい外光派(印象派的)の画風が主流になると、由一の暗く重厚な画風は一時「古臭い」と忘れ去られましたが、戦後再評価され、現在では「日本近代美術の父」として不動の地位を築いています。

Information

高橋由一を深く知る「この一冊!」

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本のご紹介

高橋由一 (中公新書 2161) / 古田 亮 (著)

新書 – 2012/4/24

なぜ武士が筆を持ったのか、なぜ「鮭」だったのか。画塾の創設や美術展の開催など、彼が日本に洋画を根付かせるために行った「事業」としての側面に光を当て、豊富な史料をもとにその生涯と画業を読み解く決定版です。

📍【完全網羅版】高橋由一の足跡と作品に出会える美術館リスト

高橋由一の作品は、彼の活動拠点であった東京だけでなく、パトロンとの縁があった香川(琴平)、記録画を残した東北、そして全国の主要美術館に収蔵されています。 

【栃木県佐野市】 生誕のルーツ

  • 佐野市郷土博物館(栃木県佐野市大橋町):
    • 佐野藩ゆかりの人物として、高橋由一に関する資料展示や企画展が行われることがあります。彼が生まれた佐野藩邸は江戸にありましたが、そのルーツはこの地にあります。

【香川県琴平町】 最大の聖地・コレクション

  • 金刀比羅宮(高橋由一館・宝物館)(香川県仲多度郡琴平町892-1):
    • 画塾の資金援助の返礼として奉納された27点もの油画が収蔵されており、質・量ともに由一の最大の聖地です。
    • 『豆腐』:まな板の上の豆腐、焼き豆腐、油揚げを描いた静物画の傑作。
    • 『鯛(海魚図)』:質感描写が素晴らしい作品。
    • 『二見ヶ浦』:横長の画面構成が特徴的な風景画。
    • 『琴平山遠望』『巻布』『山谷堀夜雨』、『墨堤桜花』など多数。
    • (※作品保護のため常設展示ではない場合があります。訪問前に開館状況や展示内容をご確認ください)。

【東京都】 活動の拠点と代表作

  • 東京藝術大学大学美術館(東京都台東区上野公園12-8):
    • 日本近代美術の基準作となる重要文化財を所蔵。
    • 『鮭』(重要文化財):最も有名なバージョン。
    • 『花魁』(重要文化財):明治5年作。リアリズムの極致。
    • 『司馬江漢像』:先駆者への敬意を込めた肖像。
    • 『浴湯図』:銭湯の風景を描いた珍しい作品。
    • 『日本武尊』、他多数。
  • 東京国立博物館(東京都台東区上野公園13-9):
    • 『大久保甲東像(大久保利通像)』:政治家の威厳を伝える肖像画。
    • 『旧江戸城之図』『国府台真景図』『洋人捕象図』(画学局時代の模写)など。
  • 広尾稲荷神社(東京都港区南麻布4-5-61):
    • 拝殿の天井に、由一が洋画を志す前(20歳頃、「藍川」号時代)に描いた水墨画『墨龍図』が現存しています。彼の基礎画力を知る貴重な史跡です。
    • (※通常は拝殿内に入れませんが、祭礼時や事前の問い合わせにより拝観できる場合があります。外から覗く形になることもあります)。
  • 祥雲寺(東京都渋谷区広尾5-1-21):
    • 高橋由一の墓所があります。墓石には「喝」の一文字が刻まれています。
  • 府中市美術館(東京都府中市):
    • 『墨水桜花輝燿の景』:隅田川の桜を描いた作品。
  • 宮内庁三の丸尚蔵館(東京都千代田区):
    • 『栗子山隧道図』:東北開発の記録画。
    • 『明治天皇御影』:写真をもとに描かれた肖像。

【東北地方】 近代化の記録

  • 宮城県美術館(宮城県仙台市青葉区):
    • 『松島』:日本三景・松島を描いた風景画。
    • 『宮城県庁門前之図』
  • 山形美術館(山形県山形市):
    • 『鮭』:芸大本とは別のバージョンの鮭図(※芸大本とは異なります)。
    • 『山形市街図』:精密な都市鳥瞰図。三島通庸の依頼によるもの。
  • 福島県立美術館(福島県福島市):
    • 東北巡遊時のスケッチや関連資料などが企画展等で公開されることがあります。

【関東・中部・近畿・中国地方】

  • 笠間日動美術館(茨城県笠間市):
    • 『丁髷姿の自画像』:若き日の決意を感じさせる貴重な自画像。日本初の油彩自画像とも言われます。
    • 『鮭』:さらに別のバージョンの鮭(※日本に3点ある鮭のうちの1つ)。
    • 『猫の図』
  • 神奈川県立近代美術館(神奈川県葉山町など):
    • 『江の島図』:初期の風景画の代表作。この美術館の館長を務めた土方定一氏が由一再評価のきっかけを作ったことでも知られます。
  • 横浜美術館(神奈川県横浜市):
    • 師匠ワーグマンや同時代の横浜浮世絵などと共に、由一作品や資料が収蔵・展示されることがあります。
  • 愛知県美術館(愛知県名古屋市):
    • 『厨房具』(器物図):生活用品を描いた静物画。
  • 福井市立郷土歴史博物館(福井県福井市):
    • 『真崎稲荷社ノ景』:かつて徳川慶喜筆とされたこともある作品。
  • 神戸市立博物館(兵庫県神戸市):
    • 『初代玄々堂像』
  • ウッドワン美術館(広島県廿日市市):
    • 『官軍が火を人吉に放つ図』:西南戦争を題材にした歴史画。
  • 島根県立美術館(島根県松江市):
    • 『下総国野手村内裏塚真景図』
  • 町立久万美術館(愛媛県久万高原町):
    • 『真崎の渡』

💬高橋由一の遺産:現代社会へのメッセージ

「理屈をこねる前に、まず『物』をよく見よ」

高橋由一の生涯は、この一言に集約されるかもしれません。 彼は、概念や伝統的な型(パターン)で描くことを拒否し、目の前にある「鮭」の皮のシワ一つ、「豆腐」の表面のざらつき一つに、宇宙を見出しました。

現代社会において、私たちは膨大な情報や「映え」る画像に囲まれ、対象をじっくり観察することを忘れがちです。 しかし、由一の絵は教えてくれます。 「真実は、細部にこそ宿る」と。 ありのままの現実を直視し、それを描写しきる執念。彼の作品が持つ圧倒的な説得力は、虚飾を捨てて現実と向き合うことの尊さを、今も私たちに語りかけています。

©【歴史キング】

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