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大阪府の偉人:与謝蕪村 — 「春の海 終日のたり のたりかな」詩書画三絶の天才が描いた日本の美

プロフィール

与謝 蕪村(よさ ぶそん)│本名:谷口信章(たにぐち のぶあき)
1716年生│1784(天明3)年1月17日没(67もしくは68歳)
「江戸三大俳人」

「菜の花や 月は東に 日は西に」

「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」

これらの句を知らない日本人はいないでしょう。江戸時代中期、俳聖・松尾芭蕉の足跡を追い、俳諧と南画(文人画)の両方で頂点を極めた天才、それが与謝蕪村(よさ ぶそん)です。

2号

>これらの句を知らない日本人はいないでしょう。

…も、もちろんですよ😅

摂津国毛馬村(現在の大阪市都島区)に生まれ、若くして故郷を離れ、江戸、北関東、東北、そして京都と、漂泊の人生を送った蕪村。彼の作品には、鋭い観察眼と豊かな色彩感覚、そして深い叙情性が息づいています。明治の正岡子規によって再評価され、「江戸俳諧中興の祖」として不動の地位を確立した彼の生涯と、全国に残る足跡を辿ります。

毛馬村での誕生と、漂泊の旅立ち

与謝蕪村(本姓:谷口、のち谷)は、1716年(享保元年)、摂津国東成郡毛馬村(現在の大阪市都島区毛馬町)に生まれました。淀川の堤防沿いにあるのどかな農村でしたが、彼は早くに両親を失い、また一説には故郷での居場所を失うような出来事があったとも言われています。

20歳頃に江戸へ下り、早野巴人(夜半亭宋阿)に師事して俳諧を学びます。当時の俳号は「宰鳥(さいちょう)」。師の死後、彼は敬愛する松尾芭蕉の『奥の細道』を辿るように北関東や東北地方を約10年間にわたって行脚しました。この放浪の時代に、彼は画才を磨き、宿代代わりに絵を描いて旅を続けたと伝えられています。

📌 「蕪村」の号と独自の画風

1744年(寛保4年)、宇都宮で『歳旦帳』を編集した際、初めて「蕪村」の号を用いました。これは中国の詩人・陶淵明の「帰去来辞」にある「田園将に蕪(あ)れなんとす」に由来するとされ、荒れた故郷や自身の境遇を投影したとも考えられます。

絵画においては、特定の師につくことなく、中国の画譜や古典を独学で研究し、日本南画(文人画)の独自の画風を確立していきました。

京都での大成:俳画の創始と「天明調」

42歳頃、蕪村は京都に居を構え、「与謝」姓を名乗るようになります(母の出身地・丹後与謝に由来する説あり)。ここから彼の芸術は円熟期を迎えます。

📌 俳画の創始

蕪村は、俳句と絵画を同一画面に融合させた「俳画(はいが)」という新しいジャンルを確立しました。

  • 『奥の細道図屏風』:芭蕉の紀行文を書写し、軽妙洒脱な挿絵を加えた作品。重要文化財に指定されており、彼の代表作の一つです。

📌 画家としての名声

画家としても超一流で、池大雅との競作である国宝『十便十宜図(じゅうべんじゅうぎず)』は、江戸南画の金字塔と称されます。大雅が「十便図」、蕪村が「十宜図」を担当し、それぞれの個性が光る傑作となりました。

📌 俳諧中興の祖

55歳で師の号を継ぎ「夜半亭二世」となると、当時のマンネリ化した俳壇に「蕉風回帰(しょうふうかいき)」を提唱。絵画的でロマンチックな情景描写を特徴とする「天明調(てんめいちょう)」の俳諧を確立しました。

しら梅に 明る夜ばかりと なりにけり」。 

1784年(天明3年)12月25日、68歳でその生涯を閉じる際、彼はこの美しい辞世の句を残しました。

再評価の光:正岡子規の功績

没後、蕪村の名は一時忘れかけられていましたが、明治時代に正岡子規が『俳人蕪村』を著し、その革新性と芸術性を激賞しました。 「芭蕉は道徳的だが、蕪村は芸術的だ」。 子規のこの評価により、蕪村は芭蕉、一茶と並ぶ「江戸三大俳人」としての地位を不動のものとしたのです。

Information

与謝蕪村を深く知る「この一冊!」

江戸の俳人与謝蕪村の魅力を再発見した正岡子規の名俳論

本のご紹介

俳人蕪村 (講談社文芸文庫 まE 1) / 正岡 子規 (著)

文庫 – 1999/10/1

明治の俳人・正岡子規が、埋もれていた蕪村の魅力を再発見し、その芸術的価値を世に知らしめた記念碑的評論。蕪村の句の革新性や、芭蕉との比較などを通じて、近代俳句への道筋を示した名著です。

📍与謝蕪村ゆかりの地:漂泊と美の足跡を辿る旅

蕪村は生涯にわたり各地を旅し、多くの作品と足跡を残しました。ここでは、蕪村の足跡にしたがって、作品や句碑やゆかりの地を網羅的に紹介します。

【網羅版】与謝蕪村の代表作と所蔵美術館・寺院リスト

蕪村の作品(書・画・俳画)は、美術館だけでなく、各地の寺院や個人コレクションとしても大切に保存されています。

🏛️ 国宝・重要文化財クラスの作品

  • 『十便十宜図(じゅうべんじゅうぎず)』【国宝】
    • 所蔵: 川端康成記念会(神奈川県鎌倉市長谷1-18-2)
    • 解説: 池大雅との合作。蕪村は「十宜図」を担当し、軽妙洒脱な筆致で自然と共生する喜びを描いています。
  • 『夜色楼台図(やしょくろうだいず)』【国宝】
    • 所蔵: 個人蔵(京都国立博物館等に寄託・展示される場合あり)
    • 解説: 雪の降る京都・東山の夜景を描いた、蕪村最晩年の最高傑作。墨の濃淡だけで夜の静寂と底冷えする空気を表現しています。
  • 『鳶鴉図(とびからすず)』【重要文化財】
    • 所蔵: 北村美術館(京都府京都市上京区河原町通今出川南一筋目東入ル)
    • 解説: 雪の中に佇む鳶(トビ)と鴉(カラス)を描いた双幅。静謐な緊張感と、余白を生かした構成が際立つ名品です。
  • 『奥の細道図屏風』【重要文化財】
    • 所蔵: 山形美術館(山形県山形市大手町1-63)
    • 解説: 長谷川コレクション。六曲一隻の屏風に「奥の細道」の全文を書写し、旅の場面を描いたもの。蕪村の「俳画」の集大成です。
  • 『奥の細道画巻』【重要文化財】
    • 所蔵: 逸翁美術館(大阪府池田市栄本町12-27)
    • 解説: 巻物形式で描かれた「奥の細道」。蕪村は何本かの「奥の細道図」を残していますが、逸翁美術館本はその中でも特に筆致が優れています。
  • 『富嶽列松図(ふがくれっしょうず)』【重要文化財】
    • 所蔵: 愛知県美術館(愛知県名古屋市東区東桜1-13-2)
    • 解説: 木村定三コレクション。松林越しに望む富士山を大胆な構図で描いた作品。斬新なデザイン感覚が光ります。
  • 『渓山芳信図(けいざんほうしんず)』【重要美術品】
    • 所蔵: 出光美術館(東京都千代田区丸の内3-1-1)
    • 解説: 米法山水(点描画風)を消化し、日本の湿潤な風景として昇華させた、海屋南画の最高傑作の一つです。
  • 『山水図(さんすいず)』【重要文化財】
    • 所蔵: 東京国立博物館(東京都台東区上野公園13-9)
    • 解説: 中国南画の技法を消化し、日本の湿潤な風土に合わせて表現した山水画の佳作です。

🖼️ その他の主要作品と所蔵館・寺院

  • 『柳陰漁夫図』:群馬県立近代美術館(群馬県高崎市綿貫町992-1)
  • 『竹渓訪隠図』:個人蔵
  • 『新緑杜鵑図』:文化庁保管
  • 『四季山水図屏風』:佐藤美術館(東京都新宿区大京町31-10)
  • 『山水図屏風』:徳島県立博物館(徳島県徳島市八万町向寺山)
  • 『若竹図』:香川県立ミュージアム(香川県高松市玉藻町5-5)
  • 『蘇鉄図屏風』:妙法寺(香川県丸亀市富屋町9)
  • 『いろは大字屏風』:観音正寺(滋賀県近江八幡市安土町石寺2)
  • 『鶴春秋(扁額)』:江頭町自治会(滋賀県近江八幡市)
  • 『芙蓉千古雪(書)』:個人蔵
  • 『杜甫詩七絶(書)』:光ミュージアム(岐阜県高山市中山町175)
  • 『蘭亭図巻』:東京国立博物館(東京都台東区上野公園13-9)
  • 『老松図』:滋賀県立琵琶湖文化館(滋賀県大津市打出浜地先)
  • 『山觜図』:堺市博物館(大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁)
  • 『秋景人家図』:兵庫県立美術館 西宮頴川分館(兵庫県西宮市上甲東園1-10-40)
  • 『渓山訪友図』:田部美術館(島根県松江市北堀町310-5)
  • 『山水図』:黒川古文化研究所(兵庫県西宮市苦楽園三番町14-50)

【網羅版】与謝蕪村ゆかりの地・句碑リスト(都道府県別)

蕪村は生涯にわたり各地を旅し、多くの句碑や足跡を残しました。以下に都道府県別に整理します。

【大阪府】

  • 与謝蕪村生誕地碑・句碑(大阪府大阪市都島区毛馬町1丁目10-2):淀川の毛馬閘門近く。蕪村の銅像と「春風や 堤長うして 家遠し」の句碑があります。
  • 蕪村公園(大阪府大阪市都島区毛馬町1丁目12):生誕地近くに整備された公園。「春風馬堤曲」の碑などがあります。
  • 大阪天満宮(大阪府大阪市北区天神橋2丁目1-8):境内に「牡丹散て 打かさなりぬ 二三片」の句碑があります。
  • 瑞光寺(大阪府大阪市東淀川区瑞光2丁目2-2):境内の雪鯨橋の近くに「雪鯨(せつげい)を 竟(つい)に北へ 流しけり」の句碑があります。

【京都府】

  • 金福寺(こんぷくじ)(京都府京都市左京区一乗寺才形町20):蕪村の墓所。再興した芭蕉庵があり、辞世の句「しら梅に 明る夜ばかりと なりにけり」の碑があります。
  • 与謝蕪村宅跡(終焉の地)(京都府京都市下京区仏光寺通烏丸西入釘隠町):晩年を過ごした住居跡。「牡丹散て…」の句碑があります。
  • 島原・角屋(すみや)(京都府京都市下京区西新屋敷揚屋町32):重要文化財。蕪村が俳諧の師匠として招かれ、句会を開いた場所。「紅白の 蕪(かぶら)も憎し 雪の暮」の句碑があります。
  • 下鴨神社(京都府京都市左京区下鴨泉川町59):糺の森(ただすのもり)に「いそがしき 鐘のひびきや 秋の空」の句碑があります。
  • 平安神宮・神苑(京都府京都市左京区岡崎西天王町):神苑内に「殿守(とのもり)の 友をことふや 桜花」の句碑があります。
  • 円山公園(京都府京都市東山区円山町):園内に「陽炎(かげろう)や 名も知らぬ虫の 白き飛ぶ」の句碑があります。
  • 見性寺(京都府宮津市字小川776):蕪村が約3年間滞在し、修業した寺。蕪村筆の屏風絵などが残されています。
  • 天橋立・智恩寺(京都府宮津市字文珠466):境内に「はし立や 松は月日の こぼれ種」の句碑があります。
  • 成相寺(京都府宮津市成相寺339):パノラマ展望所に「夏河を 越すうれしさよ 手に草履」の句碑があります。
  • 施薬寺(京都府与謝郡与謝野町字加悦1063):幼少期の蕪村を預かったとされる寺。蕪村筆の屏風絵があります。

【茨城県】

  • 弘経寺(ぐぎょうじ)(茨城県結城市大字結城1591):蕪村が長く滞在し、襖絵を描いた寺。早野巴人の墓もあります。
  • 妙国寺(茨城県結城市大字結城104):師と仰いだ早見晋我(北寿老仙)を悼む詩碑「北寿老仙をいたむ」があります。
  • 安穏寺(茨城県結城市大字結城285):境内に「二もとの 梅に遅速を 愛す哉」の句碑があります。
  • 大輪寺(茨城県結城市大字結城285):境内に「一ト時雨 礫(つぶて)や霰(あられ) 柏原」の句碑があります。
  • 羽黒神社(茨城県筑西市甲1):下館滞在時のゆかりの地。「二たまたに ふかれて若き 柳かな」の句碑があります。
  • 宝泉寺(茨城県下妻市下妻丙132):下妻滞在時に寄寓。「あきなひの ほかけも見えて 秋の暮」の句碑があります。
  • 古河歴史博物館周辺(茨城県古河市中央町):古河市内の数カ所に「古河の 雪の白さよ 夜の雪」などの句碑が点在しています。

【栃木県】

  • 宝寿寺(栃木県宇都宮市下岡本町2022):宇都宮滞在時の拠点の一つ。「燗鍋(かんなべ)の 墨を喜ぶ 雪の暮」の句碑があります。
  • 宇都宮二荒山神社(栃木県宇都宮市馬場通り1丁目1-1):境内に「冬篭り 釣瓶(つるべ)に氷る 水の音」の句碑があります。

【東北地方(宮城県・福島県)】

  • 五大堂(宮城県宮城郡松島町松島字町内):松島を訪れた際に詠んだ「五月雨の あけほの鶴の 毛衣(けごろも)に」の句碑があります。
  • 日和山公園(宮城県石巻市日和が丘2丁目):芭蕉像と共に、蕪村の句碑「つな手かなし 朝霧の舟 村を出(いづ)」があります。
  • 可伸庵跡(福島県須賀川市本町):須賀川の俳人・相楽等躬を訪ねた場所。「其夜ハ芭蕉翁の旧跡可伸庵に宿かりぬ」の前書きがある句碑があります。

【香川県】

  • 妙法寺(蕪村寺)(香川県丸亀市富屋町9):蕪村が滞在し、多くの絵画作品(蘇鉄図など)を残した寺。「鳥羽殿へ 五六騎いそぐ 野分かな」の句碑があります。
  • 金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町892-1):参道脇に「象の眼の 笑ひかけたり 山桜」の句碑があります。
  • 善通寺(香川県善通寺市善通寺町3丁目3-1):境内に「不二(ふじ)ひとつ うづみのこして 若葉かな」の句碑があります。
  • 屋島寺(香川県高松市屋島東町1808):境内に「夏河を 越すうれしさよ 手に草履」の句碑があります。

💬与謝蕪村の遺産:現代社会へのメッセージ

与謝蕪村の生涯は、私たちに「自由な魂と美の追求」を教えてくれます。

彼は、特定の流派や権威に縛られることなく、自らの感性に従って絵を描き、句を詠みました。「俗を離れる(離俗)」ことを芸術の理想とし、世俗の垢にまみれない高潔な精神性を求め続けました。

現代社会において、効率や利益ばかりが優先されがちな中で、蕪村の作品が放つ「のどかさ」や「詩情」は、私たちに心のゆとりと、日常の中に美を見出す目を持つことの大切さを、静かに語りかけているのです。

©【歴史キング】

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