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【第5回】日独伊三国同盟――なぜ日本はこの道を選んだのか?

5-1. ファシズム国家との連携を模索した背景

「反英米」の空気と「親独」の幻想

1930年代後半、日本国内には「英米は我々を理解しない」「西洋は日本を敵視している」という感情が広がっていた。これは満洲事変やその後のリットン報告書、そして国際連盟脱退を通じて、“国際社会=英米の支配者”という構図が国民の意識に刷り込まれていったためである。一方、ヨーロッパでは台頭するナチス・ドイツがヴェルサイユ体制を打破し、国際社会に挑戦する姿が日本の一部エリートや知識層にとって魅力的に映った。

特に、ヒトラーが政権を握ったあとのドイツが急速に国力を回復し、軍備拡張に成功した姿は、日本の軍部や外交官の目には「英米と対等に渡り合えるモデル国家」として映っていた。すなわち、英米中心の秩序に挑戦しようとする日本と、同じように既存秩序の打破を目指すドイツとの「共闘」への期待が、日独接近の空気を強めていったのである。

海軍の豹変──賛成への転換の舞台裏

当初、日独伊三国同盟構想には強く反対していたのが海軍である。特に米国との対立を回避したいという立場から、海軍首脳部は親米的な姿勢をとっていた。しかし、時が進むにつれてその姿勢に変化が生じていく。背景には、アメリカの対日圧力の増大があった。

アメリカが中国支援を強化し、日本に対して経済的圧力を強める中で、海軍内部にも「いずれ米国との対決は避けられない」との空気が広がっていく。さらにドイツの電撃戦によるヨーロッパ制覇の成功は、海軍内に「今のうちにドイツと組んでおけば抑止力になる」との幻想を生んだ。こうして、当初は反対していた海軍も、しだいに日独伊三国同盟に傾いていく。

陸軍の思惑──“戦わずして勝つ”同盟構想

一方、陸軍は当初から三国同盟に積極的だった。彼らにとって、ヨーロッパで勢力を拡大するドイツとの連携は、中国大陸での作戦を有利に進めるための「政治的カード」であった。

陸軍の考えは、日独伊三国が同盟を結ぶことで、英米に対する心理的圧力を強め、日本への干渉を控えさせるというものであった。つまり、同盟によって戦争を抑止し、外交的に有利な立場を築くという、戦わずして目的を達成しようという思惑があった。

この考えの背後には、当時の日本の物資不足、特に石油や鉄といった戦略資源の制約も大きかった。長期戦を避けるためにも、同盟による「睨み」を利かせて戦わずに勝つという道が模索されたのである。

松岡洋右という推進力

三国同盟締結の最大の推進者が、外相・松岡洋右であった。彼は国際連盟脱退の立役者であり、対外強硬路線をとる“国民的英雄”のような存在として認識されていた。

松岡は「世界は二極化する」と予言し、英米グループと日独伊グループが世界を二分するという構想を持っていた。さらに彼は、独伊との提携は将来的にソ連との連携にもつながり、四国協商(日本・ドイツ・イタリア・ソ連)という世界戦略を描いていた。

彼の構想は理想主義に満ち、現実とは乖離していたが、当時の国民や軍部にとっては「大戦略を語れる指導者」として魅力的に映っていた。

天皇の懸念と「やむを得ない」了解

昭和天皇は、当初から三国同盟に強い懸念を示していた。特にドイツがソ連と不可侵条約を結んだ事実に対して、「信用ならぬ」と不信感を抱いていたことは、当時の記録にも残っている。

しかし、松岡や陸海軍の推進、そして世論の熱狂的な支持を前に、天皇も最終的には「やむを得ない」として同盟締結を受け入れることになる。その背景には、「三国同盟によってむしろ開戦を避けられるのではないか」という一縷の期待もあった。

「ドイツは無敵」という空気と、英本土爆撃の影響

ドイツがポーランドを電撃的に制圧し、フランスをもあっという間に陥落させたことで、当時の日本国内には「ドイツは無敵だ」という空気が充満していた。とくに英本土空爆(バトル・オブ・ブリテン)が続く中、イギリスが屈服するのも時間の問題と見られていた。

このような空気の中で、英米と敵対しても日本はドイツと共にあれば勝てるという希望的観測が広がった。冷静な国際分析よりも、イメージと空気が政策を動かすという、きわめて危うい状況があったのである。

ドイツ崇拝と対米自信幻想の蔓延

さらに当時の日本社会には、ヒトラーに対する一種の信仰にも似た崇拝が存在していた。彼の演説術、政策実行力、国民動員力は、日本の政治家や軍人にとって「理想の指導者像」として映っていた。

そして、日本がドイツと組むことで、アメリカも日本を軽視できなくなる、という楽観的な幻想が広がっていた。実際には、アメリカは日本の動きを冷静に観察し、戦争準備を着々と進めていたのである。

“日独伊ソ四国協調”という非現実的な夢

松岡洋右の頭には、「日独伊三国協定は、やがてソ連を巻き込んで“四国協調”となる」という青写真があった。しかし、この構想は現実からかけ離れた理想論であり、ドイツとソ連が長期的に協調するという見通しは甘かった。

その証拠に、わずか1年半後にヒトラーは対ソ侵攻(バルバロッサ作戦)を開始し、日独伊ソの協調構想はもろくも崩れ去る。

歴史の皮肉――ヒトラーの本音と日本の誤算

皮肉なことに、ヒトラーにとって日本との同盟は、ソ連をけん制するための道具にすぎなかった。そして、日本側が三国同盟によって「英米を抑止できる」と信じた一方で、ドイツはアメリカとの戦争をできるだけ避けたいと考えていた。

結局、ドイツと日本の同盟関係は、互いの本音がすれ違ったまま進行し、やがて大東亜戦争へと突入していくのである。

5-2. 独伊との関係深化と英米への牽制

日独伊、距離を縮めた背景にあったもの

1930年代末、日本は孤立の道をたどっていた。満州事変を契機とした国際連盟脱退後、英米を中心とする国際社会との距離は深まるばかりだった。そんな中、台頭してきたのがドイツとイタリアである。ともに第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制に不満を抱く「敗戦国」であり、経済危機と国際的孤立の中で急速にファシズム的色彩を強めていた。

日本にとって、これらの国々は「同じ孤立国」としての共感と、英米勢力への対抗軸としての実利的な価値を持っていた。とくにドイツとの接近は、単なる外交関係の強化にとどまらず、情報・軍事・思想面でも急速に深まっていく。

日独防共協定――名目は「共産主義の防止」だが

1936年、日本とドイツは「防共協定」を締結する。名目上はソ連の共産主義に対する防衛的連携であったが、実質的には、ドイツのナチス体制に対する日本の容認と、英米への間接的な牽制であった。

当時、共産主義は世界の脅威とされ、英米もまたソ連に対する警戒心を抱いていた。だが、その一方で、日独の連携は英米から見れば「好戦的ファシズム国家の結束」と映った。日本国内でも賛否は分かれたが、軍部は「現実主義」に基づき、対英米戦略上の布石としてこの連携を強く推進した。

イタリアとの接近――三国の利害が一致した瞬間

イタリアはドイツと同様、国際的な孤立を深めつつあった。1935年のエチオピア侵攻で国際連盟から非難を浴び、経済制裁を受けていたイタリアは、ドイツとの接近を模索していた。そして、日本との距離も自然と縮まっていく。

日独伊三国にはそれぞれ異なる思惑があった。ドイツはソ連との二正面戦を避けるための後ろ盾として日本を期待し、日本は南進政策の布石としての欧州分断を狙い、イタリアは英仏との対立緩和の手段として三国連携を必要とした。利害が一致した瞬間、三国の関係は一気に「同盟」へと進んでいく。

なぜ英米を刺激してまで三国と結んだのか?

日本が三国同盟の道を選んだ背景には、「英米との対話がもはや成立しない」という絶望的な認識があった。すでに第4回で述べた通り、満州国承認問題、資源封鎖、経済制裁などの積み重ねにより、日本は「言葉の通じない相手」として英米を見ていた。

このような状況下で、独伊との関係深化は「対英米圧力カード」としての意味合いを持ち、日本外交にとっての“交渉材料”でもあった。とくにドイツの軍事力・情報力に期待を寄せる陸軍の支持が強く、国内世論もまた「孤立を打破する唯一の道」として、この同盟路線にある程度の支持を与えていた。

独伊との連携が持つ“副作用”

だが、当然ながら、この連携は英米を刺激し、日本の孤立をさらに決定的なものとする。「枢軸国」という呼称が定着し、国際社会では「好戦的三国同盟」が新たな脅威として認識されるようになった。

また、独伊の国内情勢や戦略は日本とは必ずしも一致せず、後の外交判断に大きな影響を及ぼしていく。日本が欧州の動向に過度に引きずられ、対米戦争への道を加速させることになったことは、皮肉な結果であった。

「孤立からの脱出」が新たな迷路に

日本にとって独伊との関係深化は、「孤立打破」の希望の光であった。しかしそれは、実際には英米との溝を深め、アジア・太平洋戦争という別の戦線への扉を開くことになる。

この選択は、当時の日本にとって最良だったのか。後知恵での評価を避けながらも、私たちは「選択肢のない国」の決断がもたらした歴史の重さを、静かに噛み締める必要がある。

5-3. 三国同盟交渉の内幕と締結の意義

昭和15年(1940年)9月27日、ベルリンにて日独伊三国同盟が締結された。この条約は、締結からわずか1年余りで世界規模の戦争へと発展する第二次世界大戦の渦中に、日本が正式に枢軸国側へと加わることを意味した。しかし、その舞台裏には複雑な思惑と外交的駆け引きが錯綜していた。日本がなぜこの同盟に至ったのか、その過程と意義を紐解くことは、日本外交の転換点を理解する鍵となる。

■交渉の主役――松岡洋右外相の台頭

三国同盟の交渉において中心人物となったのが、当時の外相・松岡洋右である。彼は国際連盟脱退の立役者として既に名を馳せており、「国際世論よりも国益」を信条とする強硬派であった。松岡は、日独伊の三国による反英米ブロックの形成を唱え、特にドイツとの提携を強く志向していた。背景には、欧州でのドイツの電撃的な戦果(ポーランド侵攻、フランス降伏)により、世界の勢力構図が変わりつつあるとの判断があった。

ドイツと同盟を組むことで、日本はアジアにおける権益拡大の自由度を得る一方、アメリカの介入を抑止できるとの期待があった。松岡は「三国同盟によって英米の包囲網を打破する」という構想を掲げ、それを政治的実行力で押し通した。

■ドイツ側の打算と対ソ不安

一方、ドイツにとっても日本との同盟は、英米との対立構造を強化するうえで重要だった。しかし、当時のドイツは既にソ連との間で独ソ不可侵条約を結んでおり、極東における日本との協調が、ソ連との関係を損なうリスクも孕んでいた。

ナチス・ドイツは、日本が南進政策を本格化させ、英仏の植民地への圧力を強めることで、アジアにおける欧米勢力を牽制できると期待していた。ドイツにとって三国同盟は、米国の参戦を抑止するための「心理的圧力」でもあった。

■イタリアの立ち位置と名目的役割

イタリアはこの同盟において象徴的な意味合いが強く、実質的な軍事支援を想定していたわけではない。ムッソリーニ政権は、国際的孤立からの脱却と大国化を図る中で、枢軸の一翼として振る舞うことに価値を見出していた。

日本にとっても、イタリアを交えた「三国同盟」という枠組みは、単なる日独二国の軍事協定よりも世界的な印象を与えるものであり、国際的なインパクトを意識した構成であった。

■国内の反発と妥協の産物

三国同盟締結に際し、海軍を中心とした国内には強い懸念と反発もあった。海軍は特にアメリカとの戦争を避けるべきとする立場であり、同盟がもたらす対米関係の悪化を憂慮していた。

これに対し、陸軍や外務省の一部は、欧州の変化を日本の好機と見ており、「今こそ対米牽制に動くべき」という強硬論が台頭していた。結果として同盟は妥協の産物として成立し、条約文には「いずれかの締約国が他国より攻撃された場合」の相互援助義務が明記された。これは「攻撃された場合」に限定することで、アメリカとの直接衝突を避けたいという日本側の意図も読み取れる。

■松岡洋右のビジョンと国際構想

松岡は三国同盟を「新しい世界秩序への礎」と位置づけていた。彼の構想では、欧州のドイツ、アジアの日本、地中海のイタリアという三極が、それぞれの地域で主導権を握り、旧来の英米中心の秩序を転換するという壮大なヴィジョンが描かれていた。

その意味で三国同盟は、単なる軍事同盟ではなく、戦後構想をも内包する「世界再編の第一歩」として考えられていた。しかし現実には、経済的・軍事的基盤が圧倒的に異なる三国が有機的な連携をとることは困難であり、実態は政治的象徴にとどまった。

■締結後の国内外の反応

三国同盟の締結は、国内では一定の熱狂を呼んだ一方で、理性的な層からは冷静な分析と懸念の声が上がっていた。新聞報道では「新秩序の到来」と歓迎する見出しが躍ったが、実業界や海軍内では「英米との断絶」がもたらすリスクを憂う声も少なくなかった。

また、アメリカはこの同盟締結に対し、即座に外交的・軍事的な警戒姿勢を強め、日本への経済制裁を強化していくこととなる。日米関係はこれを境にさらに悪化の一途をたどり、開戦へ向けた道筋が見え始める。

まとめ――外交勝利か、時限爆弾か?

三国同盟は、松岡洋右の主導によって成し遂げられた一つの「外交的勝利」と言える。しかしその代償は、アメリカを敵に回す可能性を孕む「時限爆弾」を抱える結果でもあった。

松岡が描いた世界再編のヴィジョンは、日本の国力や国際環境を過大評価した側面があり、同盟はむしろ開戦への導火線となってしまった。三国同盟の締結は、昭和という時代の理想と現実のギャップを象徴する出来事であった。

その背景を理解することは、現代における国際関係の教訓としても極めて意義深いものである。

(C)【歴史キング】

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