滋賀県の偉人:安藤博 — 16歳で世界を驚かせた「日本のエジソン」、放送とエレクトロニクスの父
プロフィール
安藤 博(あんどう ひろし)
1902(明治35)年9月25日生│1975(昭和50)年2月21日没(74歳)
「日本のエジソン」「東洋のマルコーニ」「放送の父」
- 出身地:滋賀県膳所町(現・大津市)
- 肩書き:発明家、工学博士
- 代表的な発明:多極真空管(16歳で発明)、ニュートロダイン回路、NE式写真電送装置の同期検定装置
- 主な栄誉:日本十大発明家(第2回・宮中賜餐)、藍綬褒章、勲四等旭日小綬章
- 著書:『無線電話』『テレビジョン』など多数
- 名言・造語:英語の「Broadcast」を「放送」と翻訳した
もし、彼がいなければ、今の「スマホ」も「テレビ」も、これほど早く私たちの手元には届かなかったかもしれません。
安藤博(あんどう ひろし)。 エジソンやマルコーニといった世界の巨人と並び称されながら、現代ではその名を知る人は少なくなりました。しかし、彼はわずか16歳、まだ中学生の身でありながら、当時の電子工学の常識を覆す「多極真空管」を発明し、世界中を驚愕させた紛れもない天才です。
英語の “Broadcast” に「放送」という訳語を当て、日本の放送事業の礎を築いたのも彼でした。 富や名声におごることなく、74歳で不慮の事故により研究室で倒れるその瞬間まで、少年のような瞳で未来を見つめ続けた「純粋な発明家」。 滋賀・大津が生んだ、知られざるエレクトロニクスの父の生涯に迫ります。
琵琶湖畔に生まれた「科学少年」
1902年(明治35年)、滋賀県滋賀郡膳所町(現在の大津市膳所)にて、内務省の技官であった父・時蔵の子として生まれました。 美しい琵琶湖のほとりで育った少年は、幼い頃から並外れた好奇心の持ち主でした。運命を変えたのは、小学校時代に読んだ「無線通信の父」マルコーニの伝記でした。 「目に見えない電波を使って、遠くの人と話ができるなんて!」 その感動が、彼を科学の世界へと駆り立てました。
当時の日本はまだ科学技術の黎明期。しかし、安藤少年は独学で専門書を読み漁り、お小遣いを貯めてはドイツから当時の最先端実験器具である「ゲーデのモレキュラーポンプ(真空ポンプ)」を取り寄せるなど、中学生とは思えない本格的な研究環境を自室に作り上げていました。彼の部屋は、単なる子供部屋ではなく、すでに世界レベルの「小さな研究所」だったのです。
16歳の快挙! 世界を変えた「多極真空管」
安藤博の名を一躍世界に知らしめたのは、1919年(大正8年)、彼がまだ16歳(東京・明治学院中学在学中)の時のことでした。
当時、無線通信の増幅器として使われていたのは、アメリカのリー・ド・フォレストらが発明した「三極真空管」でした。しかし、これには動作が不安定で、高周波の増幅には限界があるという欠点がありました。 安藤は、真空管の中にもう一つの電極(グリッド)を追加することで、電極間の静電容量を打ち消し、増幅率を飛躍的に高めることができる「多極真空管(四極管・五極管)」の原理を発見・発明したのです。
これは、エジソン(二極管)、フレミング、ド・フォレスト(三極管)という世界の巨人の系譜に、日本の少年が名を連ねた瞬間でした。この発明により、ラジオの感度は劇的に向上し、後のテレビやレーダー、ひいては現代の通信技術の基礎となりました。 後に特許権を巡って海外メーカーと争いになりましたが、安藤の先見性と独自性が認められ、日本の技術を守る「防波堤」となりました。また、この特許は松下幸之助(松下電器創業者)によって買い取られ、広く公開されたことで、安価で高性能なラジオが日本の家庭に普及するきっかけとなりました。
大ベストセラー『無線電話』と世界行脚
早稲田大学理工学部に進学した安藤は、1922年(大正11年)、弱冠20歳にして『無線電話』という技術解説書を出版します。 難解な無線技術を一般向けに分かりやすく解説したこの本は、ラジオブームの前夜という時流にも乗り、数十版を重ねる大ベストセラーとなりました。
この本の印税で莫大な資金を得た安藤は、なんと世界一周の研究旅行を敢行します。 目的は、憧れの巨人たちに会うこと。彼はその行動力で、アメリカのトーマス・エジソン、イギリスのグリエルモ・マルコーニ、テレビ開発の先駆者ジョン・ロジー・ベアードらと面会を果たし、対等に技術論を交わしました。若き日本の天才発明家は、世界の発明王たちからもその才能を認められたのです。
「放送(ブロードキャスト)」の生みの親として
安藤博の功績は、ハードウェアの発明だけにとどまりません。 彼は、不特定多数の人々に電波で情報を届ける “Broadcast” という概念に対し、農家が種をまくという意味の言葉などを参考に「放送」という日本語訳を考案しました。現在私たちが当たり前に使っているこの言葉は、安藤の発想から生まれたのです。
1925年(大正14年)、日本初のラジオ放送が始まりますが、安藤はこれに先立ち、現在のNHKの前身となる「社団法人東京放送局」の設立発起人の一人として名を連ねています。 また、テレビジョンの研究にもいち早く着手し、高柳健次郎(浜松高等工業学校)らと並び、日本におけるテレビ開発のパイオニアとして活躍。機械式テレビから電子式テレビへの移行期において、数多くの基礎特許を取得しました。
栄光と、炎の中での最期
昭和に入ると、彼の発明の才はさらに多方面へ広がります。 現代のFAXの元祖となる「NE式写真電送装置」において、画像の乱れを防ぐための重要な技術(同期検定装置・寄生振動阻止法)を発明し、実用化に決定的な役割を果たしました。 1939年(昭和14年)には、その功績により「日本十大発明家」の一人に選ばれ、宮中での晩餐会に招かれるという最高の栄誉を手にしました。
戦後もカラーテレビの開発や放送法制の整備に尽力しましたが、その最期はあまりにも突然で、悲劇的なものでした。 1975年(昭和50年)2月、74歳になってもなお現役の研究者として、自宅兼研究所(当時は神奈川県川崎市)で実験を行っていた際、不慮の火災事故が発生。逃げ遅れ、愛する研究機材と共に帰らぬ人となりました。 最期の瞬間まで、彼はあくなき探究心を持った「発明家」であり続けたのです。
安藤博を深く知る「この一冊!」
16人の知られざる発明・発見の父たち

ニッポン天才伝 知られざる発明・発見の父たち (朝日選書 829) / 上山 明博 (著)
単行本 – 2007/9/7

ライト兄弟より先に飛行原理を発見した二宮忠八や、乾電池王・屋井先蔵などと並び、安藤博の「早熟の天才」ぶりと、その後の波乱に満ちた研究人生がドラマチックに描かれています。技術的な解説も分かりやすく、彼の偉業を俯瞰するのに最適な一冊です
📍【完全網羅版】安藤博の足跡を辿る — ゆかりの地・史跡リスト
安藤博の足跡は、生誕の地・滋賀、研究の拠点・東京、そして彼の発明技術が保存されている博物館などに残されています。
【滋賀県大津市】 天才が産声を上げた地
- 安藤博生誕地(膳所)(滋賀県大津市膳所):安藤博は現在の膳所(ぜぜ)地区で生まれました。生家の正確な位置を示す碑などはありませんが、琵琶湖を望むこの風光明媚な城下町で、幼き日の彼はマルコーニの伝記を読み、見えない電波への夢を育みました。
- 長等神社(ながらじんじゃ)(滋賀県大津市三井寺町4-1):安藤が生まれた膳所地区からも近く、彼の一家が暮らした大津の鎮守神です。楼門は市の指定文化財となっており、彼も幼少期に目にしたであろう景色が残っています。
【東京都】 研究と発信の拠点
- 国立科学博物館(上野本館)(東京都台東区上野公園7-20):
- 日本館2階「日本の科学技術」などの展示室において、国の重要文化財である「NE式写真電送装置」(丹羽保次郎・小林正次発明)が展示されています。この装置の実用化には、安藤博が発明した「同期検定装置」や「寄生振動阻止法(ニュートロダイン改良)」の技術が不可欠でした。彼の技術が日本の通信史を支えた証です。
- NHK放送博物館(東京都港区愛宕2-1-1):
- 安藤が設立発起人として関わったNHKの歴史と技術を展示する博物館。初期のラジオ放送機材や、安藤も取り組んだテレビ実験の歴史(機械式テレビなど)の中で、彼の技術的貢献の大きさを確認することができます。
- 一般財団法人 安藤研究所(東京都大田区西蒲田7-26-11):
- 安藤博が設立した研究所の志を受け継ぐ財団法人。現在は「Flos Kamata」ビルの中に事務所があり、電子工学の研究助成や「安藤博記念学術奨励賞」の授与などを行っています。物理的な実験施設は失われましたが、彼の「科学技術振興」の遺志はここで生き続けています。
💬安藤博の遺産:現代社会へのメッセージ
「僕も、エジソンのようになりたい」
安藤博の生涯を貫いていたのは、少年時代に抱いたこの純粋な憧れと好奇心でした。 彼は、特許で得た巨万の富を、贅沢のためではなく、すべて次の研究と実験につぎ込みました。権威や地位よりも、「新しいことを知りたい」「世の中の役に立つものを作りたい」という情熱が、彼を動かし続けました。
現代社会において、私たちは「コスパ」や「効率」を求めがちです。 しかし、安藤博の生き様は教えてくれます。 世界を変えるのは、計算高い損得勘定ではなく、「好きだから、やる」「知りたいから、調べる」という、止められない情熱なのだと。 私たちのポケットの中にあるスマートフォン、その技術の源流には、滋賀の天才少年の夢が息づいています。
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